カリブ海にて考え中 Thinking something in Caribbean

豪華客船で起こる色々な事。

第15回 瞑想したらなんだか、かめはめ波打てそうな気がした。

4、5、6日目 

私は今さらなる修行の為にミャンマーに向かっている途中なのですが、乗り継ぎのマレーシアで前回の修行の体験を完結させていない事を思い出し、必死にまとめています。笑

 

 

 

 

 

4日目の朝。

朝4時に起床し、いつものように瞑想センターに向かうとある掲示が。

 

“本日の午後よりヴィパッサナー瞑想の指導が始まります。”

 

やっとこの呼吸を感じ続ける毎日から脱出できるのか。

私はドラゴンボールでいうと、界王様の所に修行に来た悟空がやっと界王拳を教えてもらうかのように、舞い上がりました。

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しかし一方、私達はお互いに喋ることを許させれていません。
自分が今までの瞑想で正しい方向に向かっているか、感覚をしっかり感じとれているのかは、誰にもわからないのです。


聖なる沈黙と呼ばれるこの9日間、私達はアイコンタクトや、ジェスチャーによる意思疎通も許されていません。

 

そして午後、いよいよヴィパッサナー瞑想の指導が始まりました。

 


今まで鼻から上唇周辺に置いていた意識を眉間、頭頂部へスライドさせていきます。

 

 

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私は何かとてもずっしりした圧のようなものが移動するのを感じました。


4日半、約45時間に渡って私はここの感覚を感じる事に全精力を注ぎ、大事に育ててきたので当然といえば当然です。

 

そして頭頂部に溜まった感覚を頭皮全体に広げなさい。という指示に従い、行ってみると

その瞬間、今まで人生で一度も感じたことのないザワザワとした強烈な、それはもう、うっとりするような、気持ちの良い感覚が私の頭皮全体を覆い尽くしました。

 

それから指導者の指示に従い、この感覚を決まった順序で頭の先から足の先までまんべんなく体全体に動かしていきました。

 

顔や、手のひらなど、ものすごく強烈な感覚を感じる部分もあれば、太ももや、お尻などほとんど感覚を感じない部分がありました。

 

これからの修行はこのような感覚をどこでも平等に感じるようにしていくことです。

 

意識を置いた部分に感じる感覚は、なんとも言葉にし難いところがあります。
さっきも言ったプレッシャーのようでもあり、熱のように感じたり、ピリピリとした電気刺激のように感じたり、しかし紛れもなく意識を置いた場所には何かしらの感覚を感じることができました。

 

それを”気”という事ができるのならば、私は小学生の頃かめはめ波や、霊ガン(幽遊白書)が自分にも撃てるんじゃないかと思い、一人練習している時期がありました。

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その時何か、気が溜まっていくような感じを手のひらや、指先に感じ、期待に胸を躍らせて撃ってみましたが、結果は何も起こりませんでした。

 

しかしそのような感覚が無駄では無かったと、20年経った今、瞑想によって知る事ができました。

 

 


聖なる沈黙が解けた後、皆にどんな感覚を感じたか聞いてみた所、皆似て非なるモノを感じていたそうです。


それは個人個人のバックグランドや、経験によるのかもしれません。

ちなみに超伝導を研究する物理学者のピーターは、この感覚をバイブレーションのように感じたそうです。

 

 

  • 感覚の考察

 

私は感覚シナプス(ニューロン)の再結合のように感じました。

 

 

感覚シナプスの再結合というのは、例えばこのようにインド人はしなやかに首を前後、左右、あるいは回すように動かす事が出来ます。

 

www.youtube.com

 

 

 

このような動きを可能にしているのは、彼らが何か特別な筋肉を持っているわけではなく、多くの人が筋肉の正しい使い方を知らないだけなのです。
つまり運動ニューロンがうまく筋肉と結合していないということです。

 

感覚についても同じことが言えるのではないかと私は仮定しました。

 

 

  • 感じるとはどういうことなのか?

 

視覚、嗅覚、味覚、知覚と呼ばれる感覚は『脳』が感じている感覚です。

 

例えば知覚で申しますと、私たちが物に触れた時に得られる皮膚感覚の情報は、脊髄や視床を経由し大脳新皮質に到達した後、より高次な脳領域に伝わります。この低次領域から高次領域に向かう入力を『ボトムアップ入力』と呼びます。

一方、高次から低次に向かう入力『トップダウン入力』と呼びます。

この遠心性、求心性、二つの情報が統合され、私たちは感覚を感じることができます。

 

もちろんこの『ボトムアップ入力』無しには私たちは何も感じることが出来ません。

しかしこの外界から与えられる情報は何も『触れられる』や、『何かが皮膚に刺さる』などの強い刺激でなくても、意識を集中させれば感じることができます。

 

皮膚は常に空気と接触していますし、人だって少なからず皮膚呼吸もしています。(余談ですが、ミミズは専用の呼吸器官を持たないので100%皮膚呼吸と言われています。)

 

しかし私たちは皮膚が空気に触れている感覚を、呼吸している感覚を日常生活で味わうことはまずありません。

 

私たちは普段感じている多くの感覚(sensation)を見過ごしている。

 

視覚、聴覚、味覚、知覚、あらゆる感覚器は強い刺激が入り続けると、ついにはそれに順応し、より強い刺激でないと反応しなくなります。

 

味覚で想像すると分かりやすいかもしれません。(塩辛い食事に慣れると薄味では物足りないですよね。)

 

マスコミやテレビも私たちの心により強い刺激を与えるものを考え、制作提供し続けています。(広告界では購買意欲をそそる為に仕方のない事ですが)

 

繰り返しですが私たちの多くは、生まれてこの方、ずっと外の世界に目を向けてきました。

言うならば、外の世界に刺激を求めてきました。

 

そして心が赴くままに、コロコロとTVのチャンネルを変えるかのように、より自分の心を楽しませてくれるものを、私たちは同時並行で常に探し続けています。

 

 

 

瞑想によって内の世界に目を向けるだけでなく、外の世界ばかり見ていると、私たちの感覚はどんどん強い刺激でなければ反応しなくなってきてしまいます。

 

 

 

 

  • 無常という真理

 


感じる感覚は人それぞれ違えば、その日の体調、時間帯によっても微妙に違います。


ただ全ての感覚はただ一つ共通の性質を持っています。


それは前にも言ったよう、生まれては消えていく。無常(Impermanence)だということです。


無常というのはただ全てのものは移り変わっていくという、宇宙の真理です。
昔は良かったとか、あの頃は良かったなどという、センチメンタルな事でも、ネガティブな事でもなく、ただの事実であり、真理です。

 

無常は瞑想を理解する上での大きなテーマです。

 

私たちは無常ということを誰でも知識としては知っています。

無常とは物事は常に変化し続けているということ。

しかし多くの人は無意識に世の中や、物事が変化しないという固定観念に縛られています。

少し前に美魔女という言葉が随分ブームになりましたが、老いていく事にあらがおうとしたり、恋人の気持ちが変化しないと思っていたり、親によっては子供をいつまでも自分の手元に置いておきたかったり、その逆も然りです。

 

そして世の中の真理である無常にこのように逆らう事で、人は苦しみます。


なので私たちには瞑想を通じて、無常を体得する事が必要なのです。

 

体得するのと知識だけというもの間には大きな違いがあります。

 

 

例えば私は豪華客船の仕事に就く前、ホスピスの事務長をしていました。

多い時だと月に何人もの患者さんが息を引き取ります。

多くの家族に惜しまれながら最期を迎える人、誰にも看取られず悲しく最期を迎える人。

多くの人の最期を看取ってきたので、普通の人より私は死というものに対して、経験と知識はあるかもしれません。

そしてそれらの経験は私に生きる意味について考えさせてくれ、私はこの事務長の仕事を辞め、豪華客船の仕事に就くことを決めました。

 

 

 

しかし結局のところ、私は死んでいないのです。

 

 

 

 

例えば成功者の体験談やノウハウ、セミナーや自己啓発本を読んで、やる気になる人がいます。それはある程度彼らを助けるでしょう。

しかしそのモチベーションは長続きしません。


それは映画のようなエンターテイメントと一緒で、ある種の読み手側の心を楽しく、高揚させるよう作られています。

しかし私達は例えば本田宗一郎が、松下幸之助が味わった感覚や、高揚感を味わうことはできません。

所詮誰かの成功談や、ノウハウを学んだところで、人の表在意識しか変化はありません。


人体も絶え間なく変化し続けています。
人の体は約60兆個の細胞から構成され、それは日々生まれ変わっています。

これも多くの人は知識として知ってる事でしょう。
ただ当然のことながら、私達は普段それを感じることはできません。

しかし瞑想、この感覚を通して私達はそれを体得することができます。

それこそが無常を体得するという事です。

 

もちろん2600年前ブッダは細胞のことなどは知らなかったでしょうが、彼は瞑想を通じて、人体も絶え間なく変化していることを体得しました。
そしてついには菩提樹の下で悟りに至りました。

この体得ということが重要です。

体得無くして、潜在意識を変化させることはできないのです。

その結果驚くほど自分のモノ、考えに対する執着から解放されます。

それはある人にとっては新しい考えや、閃きが生まれ人生を照らすでしょう。

 

 

 

  • 欲望と嫌悪のコントロール

 

この瞑想にはもう一つのメリットもあり、それは自分の感覚を通して人を不幸にすると言われている、渇望と嫌悪も排除する事ができるという事です。

瞑想中、ここにもっと感覚が欲しい。や、あのうっとりするような感覚がもう一度欲しい。といった渇望(craving)。
組んでる足が痺れて痛い。昔の嫌な思い出がよみがえってきた。といった嫌悪(abortion)に向き合い、それをただ観察(observe)するのです。

 

繰り返しですが、こういった欲望に対して私たちが取る最善の方法は抑圧ではありません。

”足が痺れて痛いなー。でも動かしてはダメだと言われてるし、こんな雑念がどうにかして抑えなければ!”

こう思ってはいけません。

物質的な欲、性欲、権利欲。あらゆる欲は抑制して凝縮させると、より心に根をはるので、絶対してはいけません。


観察し、そのような感覚に対して私達が無意識にとっていた行動パターンにまず気づくのです。
そうして人間は初めて潜在意識を変化させることができます。

そうして無常を体得し、色々な執着が無くなるのです。

 

 

こんな事を言うのは簡単ですが、やはり実際1日12時間を超える瞑想をしてますので、やる方は大変でした。

いわゆるZONEに入ったと言える、すごく良い瞑想が出来る時もあれば、全然集中できない時もありました。

 

しかしそうした瞑想の後、クリアな心で見る、田舎の空に輝くクリアな星空はそれはもうとても綺麗でした。

 

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↑これはヨセミテ国立公園(カリフォルニア)に行った時の星空です。

 

いよいよ修行は終盤に差し掛かり、最終日の1日前、私たちはいよいよ喋る事を許されます。

一体どんな人がこの修行に参加し、どのように感じていたのでしょうか?

 

次回に続きます。

 

第14回 1、2、3日目 心が辞めたがっているんだ。

どうもリョウタです。

昨日の続きです。

 

 

翌日

朝4時に起床。

昨夜寝れたとはいえ、まだ辺りも真っ暗の中起きるのは少し辛い。

ちなみにスケジュールは毎日ほぼ下記のように進行していきます。

4;00 起床
4:30-6:30 個人瞑想(瞑想ホール以外、テントや宿舎で瞑想してもよい)
6:30-8:00 朝食、瞑想
8:00-9:00 グループ瞑想(必ず瞑想ホールに集合する)
9:00-11:00 個人瞑想
11:00-13:00 昼食、休憩(もし質問があれば12時に先生へ質問できる)
13:00-14:30 個人瞑想
14:30-15:30 グループ瞑想
15:30-17:00 講義、個人瞑想
17:00-18:00 軽食、休憩
18:00-19:00 グループ瞑想
19:00-21:00 講話(もし質問があれば9時以降に先生へ質問できる)
21:00-21:30 質問 就寝


1日のほとんど、10時間以上が瞑想の時間です。笑

流れとしては1日の最後にある講話の時間に、新たな瞑想法のテクニックを教わり、次の日1日かけて、それを体得していくという流れ。

 

最初の3日は昨夜教わったアナパナ瞑想と呼ばれる瞑想のトレーニングに取り掛かりました。

アナパナ瞑想とはすごくシンプルな瞑想法で、そのシンプルさ故多くの学術的論文も存在します。

あるアメリカのグループの研究では1時間このアナパナ瞑想法を取りいれたグループと、ただのティーブレークを取り入れた群と比較し、アナパナ瞑想を取り入れたグループの方が著明にストレスレベルが減少したとの論文を発表している。

 

その方法とは

あぐらで座り、目を閉じ、ただひたすら自然な呼吸をして、この緑の部分に意識を集中し、そこにある感覚を観察(Observe)し続けるというもの。

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吸気

もし右の鼻孔から空気を感じるのであればそれを、左から、もしくは両方から感じるならそれを観察する。

呼気
上唇の上縁に空気が触れるのを感じるかもしれないし、私のようにヒゲがある場合、それのそよぎを感じるかもしれない。
ただそれをひたすら観察し続ける。

慣れてくるとこの三角形のエリアに空気の通る感じだけでなく、ピリピリとした感覚を感じ始める。



さすがに朝4時に起きているので、これは瞑想始まったら寝るな。

 

私はそんな事を思いながら取り掛かりました。

不思議なことに眠かったのは最初の数分のみで、頭がどんどん冴えていくのを感じました。

 

そしてただただひたすらに呼吸を観察し、感じ続けました。
深くしたり、早くしたりする事もなく、ただ普通の呼吸を。

10分、20分、30分、、、

 

 

 


眠くはないけど、

 

 

 

 

眠くはないけど、、

 

 

 

 

 

 

 


全く集中できません笑

 

 

 

 

とんでもなく退屈です。

 

 

気がつけば心がお出かけしています。
心のお出かけとは、私の場合。

お腹空いたなぁ
足痺れてきたなぁ
アイスランド綺麗だったなぁ、また行きたいなぁ
円高が進んでなければいいなぁ

(´-`).。oO(


等々

 

そしてこのような心ここにあらず状態に気づくと、すぐにまた意識を呼吸に戻す。

どうしても呼吸に意識をするのが難しい場合は、少し呼吸を荒々しくし、強く感じる事により集中を取り戻す。

 

これを皆さんも実際にやってみればわかるのですが、心というものがいかに落ち着きなく、常に何か他の事を考えているかという事に気付きます。

 

いかに日常生活でもThink too muchでFeel出来ていないかという事です。

 

このトレーニングは今を生きるためのトレーニングです。

 

 

人の思考というのは常に過去や、未来の事にとらわれていて、自分の感覚や目の前に起こっている事に集中できていないかという事が、この瞑想を通してまざまざと実感させられます。

 

講話の中で度々出てくるフレーズなのですが、必要なのは心の手術です。

潜在意識という言葉を聞いた事があるでしょうか?

私達は普段、この潜在意識(心)に体をコントロールされているような状態なのです。


例えば私達が寝ている間蚊に刺されたとすると、意識は寝たままですが、かゆみを感じ取り、その部分をかきます。

また起きている時でも、友達と会話中、もし姿勢が辛くなってきたら無意識に足を組み替えたり、姿勢を変えます。

これらは意識をしてやっているわけではありません。私達が無意識にやっている事なのです。
人はこのような潜在意識にとらわれ、肉体をコントロールされています。

そして多くの人はその事実に気づいてすらいません。

様々な欲求にすぐ反応し、行動したり。
大した事のない事に心をいつまでもとらわれていたり。

 

だからあえてここで重要な事は、"今鼻の穴に空気が通っている。"だとか、"吐いた息が上唇をなでている。"と普段見過ごしているような、微細な感覚を感じる事により、心の声を素直に聞かない。という習慣を作る事です。

 

それがFeelに全神経を傾けていて、Thinkしていないという状態です。


いや厳密に言えば

あーまた心が何か言ってるなー。とか、心が動いたな。

と冷静に観察(observe)する事が重要なのです。

 

よく漫画の中で、頭の中に天使と悪魔が戦っている絵がありますが、あれとは違います。

なぜなら欲望に対する正しい反応は、抑圧することではないからです。

年中ダイエットをしている人をたまに見かけますが、その人の場合であれば

”今週はずっと節制してきたから週末くらいパーっと飲んで、食べようよ”

”たくさん運動したから今日はケーキでも買って、自分をお祝いしよう”

など心が語りかけてくるかもしれません。

 

そして大体の結果こうなります。

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ここで大事なのはこれらの欲望を抑えるのではなくて、観察することなのです。

欲望は抑えようとすればするほど心に根をはります。

決して抑えてはいけません。

 

 

その欲望や、その時抱いている感情を観察して、瞑想を通じて体得したあなたの呼吸や感覚を元に、冷静な判断をくれる秘書を心に雇うといったイメージで、欲望、感情と向き合うのです。

 

私の心の中には瞑想を行って以来、秘書の佐々木希さんが常に私を見張ってくれています。(あ、これ煩悩かな)

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例えば夜家に帰って

”小腹が空いたなぁ、ポッキーでも食べよう”

と思ったとします。

そうすると心の中の佐々木希さんが、私の呼吸、感覚を元に私へ語りかけます。

”本当にポッキーが必要なんですか?あなた後は寝るだけですよ。”

とOvserve した結果を僕に伝えてくれ

あ、そういえばいらないかなと思うのです。

 

怒りや、何かストレスを感じる場面でも

”呼吸が早くなっていて、冷静な判断ができない可能性がありますよ。”

などと教えてくれます。

 

心と体動の間に常にワンクッション置くようなイメージです。

 

心は常に荒々しく、汚いもので、心の浄化が必要です(この事にも多くの人は気づいていません)。

 

少し前に競馬でオルフェーブルという馬がいました。

いくつものG1を勝ち、獲得賞金世界一という記録を持つ、近代競馬史に誇る名馬です。

 

この馬はとにかくとんでもなく高いポテンシャルを持っていましたが、気性(性格)が凄く荒い馬でもありました。

 

阪神大賞典というレースで彼はコースを間違えて、10馬身以上外側に爆走してしまいました。(それでいて一流馬が集まるこのレースで、結果2着というのは競馬ファンからすれば考えられませんでした。)

 

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心はこのような暴れ馬のようなものです。

 

もしこの馬に調教がきちんとされなかったら、名馬に大成することは無かったでしょう。

私たちの心も同じです。暴れ馬のような心を瞑想によって調教(整頓)されなければ、多くの人はポテンシャルを持っているのにも関わらず、それを発揮できずに終わってしまいます。

 

 

 

 

 そしてこの瞑想を行うことを大抵の場合、心は嫌がります。

退屈で刺激が無いからです。

 

 

 


突然ですが、アツアツに温めた鉄鍋に水をかけるとどうなるでしょうか?

 

この瞑想をする事はそんな心という名の温めた鉄鍋に、水かけするようなものです。

当たり前のように心とこの瞑想はジューという荒々しい音と湯気を立て、反発し合います。

心は刺激が大好きなので、こんな退屈な事をしていると

”もういい加減やめて、もっと楽しい事しようぜ!”

”意味ないよ。こんな事!”

とか

”こんな退屈な思いしてまで、なんで呼吸を観察してるの?バカなの?”


と囁いてきます。


映画等で2時間座ってて平気なのは心という鉄鍋に油を注ぐようなものなので、心に炎が付くせいで、平気でいられます。ああいうものは心の大好物です。

 

マインドコントロールという言葉が少し昔に流行りましたが、私達多くの人はマインドニコントロールされていると言った方が正しいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

私は心を”今”という時に留めるため、呼吸を感じ続けました。
日が明けても、暮れても続けました。

 

いや正直に言うと退屈で死にそうでした。

 

ただ環境というのは本当に大事だなと思いました。
もし私が瞑想なんてもう嫌だと、テントに帰った所で何もやる事がないのです。
こんな森に囲まれた所では、結局瞑想以外やる事はないのです。

 

そうこうしながら3日目が終わり、4日目の朝、いつまでこの苦行が続くのかと思いつつ、瞑想センターに行くと、ある掲示がされていたのでした。

0日目 怪しげな瞑想施設に修行へ行ったお話


ヴィパッサナー瞑想の施設は日本に二つ。京都と千葉にあります。
京都の方は人気で、もう今年一杯は予約が取れないみたいです。

修行は10日間で誰とも喋る事ができませんし、携帯電話等も使う事は出来ません。

 


私は大阪でお世話になったチベット瞑想の先生から、この施設の事を教えてもらい、元々スリランカかネパールに修行に行くつもりだったので、千葉なら近い!
と思って千葉にしました。

 

新幹線から京葉線に乗り換え、センター最寄駅の茂原に到着。
送迎の車が来る所まで、バスで向かう。

どのバス停か分かるかなーなんて不安に思っていると、ある一つのバス停にバックパックや、大きなスーツケースを持った人の長蛇の列が。
田舎の駅のあるバス停にだけ、長蛇の列という異様な光景。
これで間違い無い。
私は思いました。

 

その時センターに向かう約男女30人がバスに乗っていたと思います。

地元の学生が数人、バスに乗っていましたがとてもかわいそうでした。

バスで20分程揺られた後、到着。

しかし送迎の車は一度に6人程度しかセンターに運べないというので、結局ほとんどの人はそこから歩いてセンターに向かう事に。


センターに着くと簡単なペーパーワークがあり、貴重品や、携帯、電子機器類の預かり。そしてテントや泊まる宿舎が割り振られる。

センターは四方を小高い丘と、森に囲まれていてまさに自然の要塞といった感じ。

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たまにイノシシも出ます。笑

 

 

 

  • 宿泊形態

泊まる場所は宿泊棟かテントを選べるのですが、快適さ(気温等)を重視するなら宿泊棟。プライバシーを重視するならテントをお勧めします。

宿泊棟の方が人気なので、宿泊棟を希望される方は早めのエントリーが必要です。

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私はこのテントで10日間過ごしました。

 

  • 食事

食事は肉、魚等を除いた粗食です。

朝がパン、ご飯、玄米、味噌汁、バナナやオレンジ

昼が一番豪華で朝のメニュープラス、厚揚げのマリネやカレーが出たこともありました。

夜のメニューがシュールで、必ずポップコーンが出て、後はりんご半個など少量です。

私はこの合宿中2キロ痩せました。本分とはそれますが、ダイエットしたい女性にも良いかもしれません。

 

味はとても薄味です。この修行が終わってからマクドナルドのポテトを食べたら塩辛すぎて食べれませんでしたし、胃が優しいものに慣れすぎたせいか、後でお腹が痛くなりました。

 

  • 風呂、シャワー

 

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すごく充実しています。男性の方は3つシャワールームがあるのですが、基本的に自分の使いたい時に使えました。

 

  • 費用

 基本的に無料。

寄付のみにより成り立っています。

 

 

 

テントにバックパックを下ろした時、約午後4時半くらいで、その後夕方6時のオリエンテーションまで自由時間。
数人外人がいたので話しかけてみる。

一人はNY郊外生まれの、両親は敬虔なクリスチャンのドレ。

もう一人は日本に来て10年、大学院で超伝導の研究をしている南アフリカンのピーター。

プリズンブレイクの主人公をヒゲ濃くした感じのイケメン。

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私が
南アフリカンの友達めっちゃいるよ。
と伝えると

日本人は大体、南アフリカンの人に初めて会ったって人が多いのに、珍しいね。
と言われた。

私が勤めるスパの2大勢力はフィリピーノと南アフリカンなんです。

 


これから9日間お互いに喋る事や、ジェスチャー、あらゆるボディランゲージが禁止される、聖なる沈黙というものが始まります。

その聖なる沈黙が始まる前に、少し話できたのはラッキーでした。

なんせこれより9日間誰とも喋ることが出来ませんので。

 

日本人の人達は割と大人しくしていました。

女性も男性も当たり前ですが、一人で来ている人がほとんどのようでした。
人数は男30、女30くらいの約60名。

思っていたより、多くの参加者に驚きました。

それもそのはず、年末年始やお盆のシーズンは特に人気で、なんと100人ほどのキャンセル待ちが発生するそうです。


オリエンテーションが7時に終わり、最初の2時間の瞑想が始まります。
瞑想センターは異様な雰囲気を醸し出しています。
荘厳というか、そこはかなく重い空気というか、講師や奉仕者含め70人近くがいるのに、誰も喋らず、物音一つ立ててはいけない雰囲気がそれを作っているのかもしれません。

そこに仏像がないこと、私達の指導にあたってくださったクリス先生がポロシャツ、チノパンで出てきた事に驚きました。

 

やはり何か変な宗教に勧誘されたらどうしようという不安がありましたので。

 

瞑想というのは約2500年前、ブッダ(釈迦)が悟りを開くための修行として、実践した方法であって、ブッダの元には多くの在家の人、他宗教の人もやってきて瞑想に励んだそうです。

 

そもそも日本に伝わった大乗仏教とはブッダの没後500年、ブッダの骨に価値があると言い出した人たちが、ブッダを祭り上げ作られたものです。

 

ブッダ自体は超越者の存在や、死後の世界について述べてはいませんし、意味の無い宗教的な慣習を嫌っていました。

ブッダはインド哲学をベースとして人間関係をどう生きるかという事を説いた、哲学者といった方が正しいかもしれません。

 

なので瞑想するために、仏教に入ったり、改宗したりする必要は全く無いのです。

 

そしていよいよ最初の瞑想が始まりました。

 

 

 

よく瞑想から帰ってきたというと

 

どうやって精神統一するの?とか

何も考えないことなんて、絶対無理!

 

ということが言われますが、これには実はコツがあるのです。

 

もちろん

何も考えないでおこう!

というのはすでに考えていることになります。笑

 

何も考えない事が確かに重要なのですがその目的は、より明晰に考えられるようになる事です。
これは矛盾してるように聞こえますが、思考とは
携帯のストレージ、PCのHDDメモリみたいなもの。
空き容量が無いと、新しい考えができないのです。


あるいは水泳の息継ぎもそうですが、初心者の人は息を吸う事に意識を置きすぎて、吐く事を忘れ、息苦しくなっていきます。


まず考えるためには考えない事、空を作る事が必要なのです。

 

次回その方法については詳しくお話しします。

 

 

ヒントはThinkとFeelは共存出来ないという事です。

 

 この日は9時に就寝。

翌日自分の心があれほどに荒ぶってるとは、この時思いもしませんでした。

 

 

第12回 あ、瞑想しなきゃって思った理由。

10日間の禁欲生活が終わりました。

 

 

千葉の山奥で誰とも喋らず、質素なご飯を食べ、電子機器を一切使わず、読み書きさえ許されず、ただ毎日ひたすらに瞑想を10時間程して過ごす。

そんな暮らしは現代の価値観に照らすと馬鹿らしく、無駄のように聞こえるかもしれません。

しかし私にとっては必要で、こうやって数日経った今思い返してみても、とても神秘的で、不思議な体験でした。

これから瞑想をする事によって、どのように私の体や、意識が変化していったかについて、なるべく詳しく、覚えている範囲で書いていこうと思います。(読み書きが許されていないので)

まず始めはなぜ私が瞑想に興味を持ったかという所からです。

 

瞑想を知ったきっかけ

私が瞑想について興味を持ったきっかけは患者さんからの話でした。
私は豪華客船の中でも、特に値段の高い、動く五つ星ホテルと言われるディズニークルーズで仕事をさせて頂く機会を得ました。

 

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そこにやってくる患者さんというのは、会社の社長さん、弁護士、医者、少し変わった所だとFBIの捜査官から、アラブの石油王まで、本当に色んな方を治療する機会を得ました。
彼らはわざわざ豪華客船で鍼灸治療を受けるくらいですから、自分の体に対する意識は高いです。
自分のコンディションがどう仕事に影響するかわかっているので、それに対する努力を惜しみません。

 

そんな方々からよく耳にしたワードがビーガンとメディテーション(瞑想)でした。

 

ビーガンとはベジタリアンよりもっと厳密な食生活を送る人の事で、肉、魚はもちろん、チーズや玉子等も食べる事が出来ません。
私の患者さんはほとんどがアメリカ人だったのですが、今アメリカでは貧困層程、ジャンクフードばかり食べるせいで太り、富裕層程痩せてるらしいのです。

 

私は恥ずかしながらメディテーション、瞑想についての知識が無かったので、なんでそんな大昔の仏教の宗教的儀式が流行ってるの?
とその時思いました。

しかし気になったので調べてみると、スティーブジョブズ

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や、イチロー

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も実践していたり、非常に実践的な集中力を上げる方法だと知りました。

 

 

 

 

何故忙しい毎日の中で、何もせず座る時間が必要なのか?

 

私が瞑想によって、今のところ得られたメリットは大きく分けて2つだと思います。

 

  • 欲望と嫌悪のコントロール

 

瞑想とは一言で言うと自分の内の感覚、内にある世界に目を向ける事です。

私達は産まれてこの方、ずっと外の世界に目を向けてきました。

外の世界に目をやると、うまくいかない事がたくさんあります。

人はうまくいかない事があると苦しみます。

もっとお金があれば、あの人さえ職場にいなければ、等々

 

確かにお金があれば良い車に乗れて、良い家に住めて、それはきっと気分の良い事でしょう。

しかし外の世界に目をやっている以上、テレビ、広告、インターネット、否が応でも情報はいくらでも入ってきます。

 

やっとの思いでマンションを買うと、その次は都内のタワーマンションに住みたくなり、六本木ヒルズに住みたくなり、高級住宅街に一戸建てが欲しくなり、次第には王宮のような所に住みたくなるかもしれません。

 

人間関係も同じです。

人間関係が嫌で辞めた次の職場で、良好な人間関係が待っているという保証はどこにもありません。

 

 

私の好きな漫画家に藤子・F・不二雄先生がいます。

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彼は国民的代表作ドラエもんを書いた事で有名ですが、実は彼の描く短編集は非常に面白く、現代社会や、欲望を皮肉った作品が多くあります。


その中で私が好きな話が ”福来る” という話なのですが

主人公は中年のサラリーマン。家には嫁と年頃の娘がいます。
ある日仕事帰り酔っ払って、公園で酔い潰れて寝ていると福の神がそこに現れます。

福の神の事を最初彼は最初信じません。罵倒し、最後には喧嘩別れをしてしまいます。

主人公に対して呆れた福の神ですが、福の神もせっかく100年振りに現世に現れたので、どうせなら福をやりたいと主人公の生活を見る事にします。

そこで福の神は驚きます。

100年前に比べると圧倒的に技術が進歩していたのです。

ただ蛇口をひねれば水は出るし、ご飯は捨てて余る程あります。


福の神は主人公に尋ねます。
こんな恵まれた生活をしてるっていうのに、これ以上一体何を望むんだ?


主人公は答えます。


涙が出る程の幸福が欲しい!

そして挙句の果てには宝くじを買ってきて、これに当たりを混ぜろ。と福の神にダダをこね始めます。

それはやり過ぎだと、福の神が要求をはねのけると、またそこでケンカが始まります。

ここでシーンが変わり、ある田舎の農村になります。
そこである農民がクビつり自殺をしようとして失敗しています。

農民は友人にアワで作った粥をご馳走になりながら、諭されています。

自殺なんて馬鹿なマネを2度とするんじゃないぞ。でも何で一体自殺なんて?

農民は答えます。
母は餓死、娘は身売り。もう生きていく希望が無くなった。

そして自殺をしようとした農民はこう続きます。

それにしても今まで極楽にいたような気がするなー。
飯が捨てる程あって、夜もきらびやかで明るく、千里を一瞬で走る乗物。夏涼しく冬暖かいからくり。
そんな中でオラはいたんだ。

友人は答えます。

何馬鹿な事言ってんだ。極楽でも見てたんじゃねえか?

福の神は上空から2人のやりとりを眺めて、こう言います。

しばらく昔の、食うや食わずの生活を送るがよい。
現世に戻った時、涙が出る程の幸福を感じるであろうぞ。と

 

 

お分りの通り彼の言う極楽とは現代社会の事なのですが、この漫画が言うように
どれだけテクノロジーが進歩し、昔より生活が便利になっても、もっと、もっとと人間は満足できません。

これは現代の資本主義社会のシステムにも通じる事です。

 

人の欲とはアトピー性皮膚炎のかゆみのようなものです。

かゆい→かく→気持ち良い→傷が深くなりもっとかきたくなる
欲望→達成→気持ち良い→欲が深くなりもっと欲しくなる

 

瞑想を毎日の生活に取れ入れる事によって、このような欲望、嫌悪を客観的に観察する事が出来、次第に苦しみからから解放されます。

 

 

 

  • 執着しない心

人は普段色んなモノに対して執着を持っています。

自分の思考、自分の所有物、自分の生への執着。

しかしそれらはご存知の通り永遠ではありません。

それを”無常”と呼びます。

私達の夕飯を机に放置し3日もすれば腐ってしまうでしょうし、私達のスマートフォンもいつかは壊れます。

そして一番有名な無常、私達はいつか死にます。

私達は無常を頭では理解しています。しかしこの無常を体得した人とは、世の中にどれくらいいるでしょうか?

 

人体もまた絶え間なく変化し続けています。

人の体は約60兆個の細胞から構成され、それらは日々生まれ変わっています。

しかし当然のことながら、私達は普段それを感じることはできません。

 

瞑想中、私達は普段の生活では気づくことがない感覚が現れます。

気持ちの良い感覚、たまには痺れ、痛みのような不快な感覚、暖かいような感覚。

しかしどんな感覚もたった一つ共通の性質を持っています。

それは“生まれては消えていく” “無常”という事です。

私達は瞑想中、無常を自分の感覚を通じて体得します。

そうすると先ほど言った自分の思考、自分の所有物、自分の生への執着が、驚くほど無くなります。

 

知識はあるに越した事はありませんが、知識だけでは人は変われません。

それは多くの自己啓発セミナーや、ビジネス本が世に蔓延している事が表しています。

それらは人の心を2、3日元気にするでしょうが、多くの人はそのモチベーションが続きません。

 

瞑想は自分の体を通じた感覚を通して、非常に実践的に人間関係、人が生きるにあたっての真理を説いています。

 

 

 

 

 

私は豪華客船の仕事をしているくらいなので、人より何かを知りたいという欲求が強いのかもしれません。

世界の行った事の無い所に行ってみたい。色んな外国の人と自分の言葉でコミュニケーションしみたい。今まで味わった事のない体験をしてみたい。

 

瞑想をする事で、どういう風に自分は何か変わるだろうか?

 


そんな気持ちにワクワクしながら、千葉のヴィパッサナー瞑想センターに向かう為、私は東京駅までの新幹線に揺られていました。

 

 

 

最近はnoteで書いています!よかったらこちらもどうぞ。

note.mu

第11回 バケーションのススメ

タイ、北海道、東京、金沢、香川。写真は函館の夜景です。

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好きな時に好きな所へ行って、好きな人に会って好きな事を話し、好きなだけものを考える事が出来るバケーション。

 

こんなに幸せでいいんだろうかと時折考える。

 

幸せであることに不安を覚える事で、自分がまだ日本人っぽいなーと自覚する。

 

本当に日本の社会ももっと長期休暇を増やせば自殺する人も減るし、仕事の能率も上がるのになと思う。

 

一か月休みがあると、働いてない事が当たり前になってくる→なぜか無性に働きたくなる。

これ船乗りあるあるです。

 

今こうやってお金があって、自由があって、時間があって、人間って本当にやりたい事が見えてくるんだなーと。

 

 

しかし色んな人と話をして感じるのは、今の会社に何となく勤めているが

自分はやりたい事がない。
何に自分が向いているかわからない。
このままでいいのかなって悩んでいる。

って人の多さ。

 

僕は説教と、戦争と、きゅうりが大嫌いなので、なるべく偉そうにならないように話をするのだけど、結局そういう人達は会社を辞めるっていう不安に取り憑かれてる自分自身が問題なんだなぁ、とすごく感じる。

 

今までお世話になって、可愛がってくれた上司に申し訳ない。

家族が辞めるなと言っている。

転職して失敗した人達をいっぱい知ってる。

うーん。(うーん。は人を否定したくない僕が使う、もっとも最上級の否定法です)
って思います正直。

 

 

今までお世話になって、可愛がってくれた上司に申し訳ない。家族が辞めるなと言っている。

上司や家族があなたの人生の責任を取ってくれるのかな。
人生はいつまでたっても孤独だし、あなたの彼氏、彼女やパートナー次第で多少あなたの幸せは変わるかもしれないけれど、結局あなた次第ですよ。

 

転職して失敗した人達をいっぱい知ってる。

その人達は転職した事が失敗だったんでは無くて、挑戦する事自体が欠落していただけだと思いますよ。転職してダメだったらまた転職したり、自分で何か始めればいいだけの事です。

 

 

この前話してた子も
自分が営業としてもっと突き抜けれそうな可能性を感じる時もあれば、他の営業と比べて向いてないなーと思う事が多い。
だからこの仕事をどうしていいかわからない。そんな状態が1年も続き、いつもモヤモヤしている。

 

 

僕が彼女に言ったのは
とりあえず1番の問題はあなたがあなたを受け入れてない事が問題やし、人間やる気のある人、ない人がいるんじゃ無くて、やる気のある時、ない時があるだけなんちゃうかな。

 

だから営業やりながら他の仕事に目移りする自分をまず受け入れてから、一年モヤモヤしながらも頑張って続けた自分を受け入れて。

別に自己賛美する必要はないけど、ありのままを普通に受け入れたらいいと思うで。

こうならなあかんとか、こうあるべきやっていうのを取っ払ったらもっと楽になるんちゃうかなーって。

 

そうしたら彼女楽になってくれたみたいで、自分のやりたいように春までやってみて、いい結果が出ても、出なくても仕事辞める!
って言ってた。(僕は責任とらないけど)

 

 

 

確かに無職になるのは怖い。

ただ僕は周りからみじめに見られたり、かわいそうと思われたりする事にあまり抵抗が無いんだなぁ。と人と話してて思う。
だから僕は誰を相手にしても同じ、自分を良く見せようともしないし、背伸びもしない。

 

だって自分ってそれ以上でも、それ以下でもないからなぁ。

 

第10回 ハローと、サンキューと、マクドナルドくらいしか英単語知らなかった

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僕が船に乗ろうと決めた約3年半前。
僕が知ってる英単語は本当に誇張では無く、タイトルのくらいしか知らなかった。

一応乗船までお世話になった英会話学校には自分の英語レベルを、

中学レベルですかねー。

なんて言ってたけれども、それは中学レベル以下を表す言葉が見つからず、苦しまぎれに言ったものだった。
中学レベル以下の英語しかない人はなんて言えばいいのだろう。
小学生、幼稚園レベル、、
でも義務教育で英語習わない年代だしなぁ、、

 

 

 

僕の場合常に行動が先に来てしまう。
茨城の病院を辞めて、次に何の仕事をしようかと途方にくれていた頃、インターネットでこの豪華客船の仕事を見つけた時、もうなんというかワクワクが止まらなかった。

そして瞬く間に会社説明会に参加し、そこで言われた一言


面接は全て英語です。


この時初めて、そっか、英語か!!と我に返った程だった。

全く英語が喋れないながらも、英会話学校の先生の親身なアドバイスやサポートによってなんとか面接を突破。


船に乗り込むとみんなが
オーラ!
と挨拶してくるのだけれど、そのオーラがスペイン語だと知ったのは乗船して2週間が過ぎた後だった。

 

とまぁ、とにかく僕の英語レベルは酷かったので藁にもすがる思いで色んな勉強法を試した。
その中で特に役に立ったアプリを3つ紹介したい。

 

1、Reai英会話

LT Box Co., Ltd.「Real英会話」
https://appsto.re/jp/t9brw.i


このアプリは非常に役に立った。
このアプリの僕の使い方はシャドーイング等に使うのでは無く、主に辞書代わりに使っていた。

少しモノを訪ねたい時、ネイティヴだったらなんて言うのかなぁ。そんな疑問に対し、Google翻訳等では直訳が多いのでネイティヴが実際に使う表現とは程遠く、通じないこと多かった。

イディオムがたくさんのっているこのアプリの方が自然な表現なので、コミュニケーションは円滑に進んだ。

 

2、瞬間英作文

Beret Publishing Co. INC「スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング」
https://appsto.re/jp/ydm3J.i


英語のスピーキングにおいて必ず上がる、文法必要ですか?問題。

このアプリは頭でわかっている文法を、口にアウトプットするスピードを速める為に、非常に重宝している。
僕の場合、英語で話さないといけない事が日常で多すぎて、乗船当初どうしても単語中心のブロークンイングリッシュになっていた。

現実問題3単現のsが抜けてたり、前置詞が間違っていようと通じるのだが、1日の終わりにこのアプリを使って30分ほどシャドーイングして、文法を口で暗記し、なるべく綺麗な英語を喋る事を心がけた。
文法を覚える事は個人的には早くスピーキングが上手くなるための近道だと思っている。


3、TED Sub title

CoCO SWING「TEDICT - TEDで英語を習おう, LITE」
https://appsto.re/jp/ybecH.i
上の二つのアプリに関しては主にスピーキングの上達に使える。
リスニングの上達にはこのアプリをお勧めする。
意外なことに日英両方の字幕が付いている映画や、教材等をフリーで見つけることは難しい。

このアプリでは様々なトピックを様々な人種の人がプレゼンテーション形式で話す。
それに音声、字幕データと映像をダウンロードしていれば、オフライン下でも見ることができるのがお勧め。
しかもプレゼンテーション一つあたりの時間も5〜20分程度なので、少し空いた時間に勉強できるのも良いところだ。

唯一の欠点は会話形式でないことくらいか。

 


日本に帰るといつも思うことがある。
電車に乗っても、テレビを見てても日本には英会話学校関連の広告の多いこと、多いこと。

基本的に英会話は家電を買うこととは全然違う。
テレビを10万出して買えば、その日から僕たちは綺麗な映像で迫力あるハリウッド映画を見ることができるが、英会話学校に10万払ったとは言え、次の日から英語がペラペラに話せるようになる事はまずありえない。

投資と結果がすぐに線で結びつかない。
だから今現在どこかで英語を学んでいても、上達していない自分に不安を感じて、また違う勉強法に手を出し、結局全部中途半端になってしまう事が多い。

結局はこれだ!と思えるような英会話学校の先生に会うか、勉強法に出会えるかという事が、英語を学ぶ上で重要な事だと僕は考える。

その上で先に紹介したアプリ3つは初心者レベルの英語学習者に自信を持ってオススメできる。


 

第9回 豪華客船大変な事

 

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前回の続きです。、、


豪華客船で働くと旅行も出来て、外人の友人や、恋人が出来て、お金も貯まってバラ色の人生が待っている。

 

という訳ではない。

自分はネガティヴな方だと思うので、豪華客船に乗る際、楽しい事より、どんな辛い事が待っているんだろう。
という事を出来うる限り想定して乗ったつもりだった。
しかし1stコントラクトは僕の想像を遥かに超える大変さが待っていた。


英語

前回も書いたが乗船時、僕は英語力が中学生以下だったので本当に苦労した。
相手の言ってる事が理解できないと、当たり前だが満足させる事は出来ない。


また海外で働く上で自己主張をしていかないと、どんどん自分の不利な状況に追いやられてしまう。
謙虚を美徳とする日本人と違い、船では自分がどれだけ売り上げを上げて貢献してるか等、マネージャーと交渉していきながら、自分で自分の働きやすい環境を作っていかないといけない。
そんな時に英語が出来ないと、理不尽な事を言われても言い返せないし、自己アピールも出来ない。


また船で働く上でセーフティーに関する事は必須で、定期的にテストがある。
緊急時にゲストをどうガイダンスするか。医療関係の緊急ダイヤルが何番で、火事関係なら何番とかこういった事を記憶しなければならない。
当たり前だがこういったテストは英語で行われるので、最悪そのテストをパス出来ないと、船を降ろされる事もある。


文化の違い

先も触れたように日本で評価される人と、船(外国)で評価される人というのは少し違うんじゃないかな。と個人的に思っている。

日本には
行間を読む。
だとか
空気を読む。
という言葉があるように
つまり受信、受けて側の能力が高い事を前提にした文化、言語であって、基本受信能力が高い人が評価される社会。

 

それと違い、外国、特にアメリカは自信社会。
喋っている時も視線を外すと自信が無いとみなされるし、プレゼン等も紙を見ながらスラスラ喋るよりも、多少つまったり、つたない単語でもいいから相手の目を見て喋った方が効果がある。

 

スパの2大勢力といえばフィリピーナと南アフリカンなのだが、彼らは常にゲストを取り合っている。完全歩合制なのでゲストがいない=給料ゼロ。なので彼女達も必死だ。

 

 

 

閉塞感、人間関係

船で生活していると、自分の事を誰も知らない環境に身を置きたいという衝動に時々駆られる。

 

僕自身、1人暮らしも長く孤独に対する耐性は強い方だと思っている。
だから一人でいるのは全然苦痛じゃないが、
あいついつも一人だな。
と周りから思われるのは別問題で、変な同情をかって結構面倒くさい。

 

普段陸で生活していると人はいくつかのコミュニティを持って生きていると思う。
仕事のコミュニティ、趣味、学生時代からのコミュニティ等々。
ただ船で生活していると、船のコミュニティしかないのでそれが時々嫌に感じる事がある。

 

嫌な上司や同僚とも、同じ一つ屋根の下で過ごす事になるので、プライベートタイムも完全にプライベートタイムとは言えない。
食堂に行ったら会いたくない人に会ったりする事があったりするので、どう気分転換、ストレス解消するかというのは重要だ。

 

 


豪華客船で働く上でのデメリット書き連ねてみましたが、総合的に見るとやっぱり楽しいが勝ると思います。
でなけりゃすぐ降りる人もいる中、伊達に4回も乗って無いですからね!