カリブ海にて考え中 Thinking something in Caribbean

豪華客船で起こる色々な事。

33歳になって


ダイアモンド・プリンセスに乗船して4ヶ月、先月で33歳になりました。
豪華客船で誕生日を過ごすのはここ5年で4回目です。今はタスマニアからオーストラリアのメルボルンへ向かっています。
ディズニークルーズからプリンセス・クルーズに変わって最初
あぁ、もうここにはミッキーはいないんだなぁ
っていう喪失感みたいなものが最初はありましたが徐々になれてきました。
大体冬が嫌いなので冬に契約をもらって避冬しているので誕生日、クリスマス、ニューイヤーは船で過ごすのが恒例になってきました。

33歳の実感を色々まとめてみました

 

 

 

年齢感覚について


自分が中学生だった頃や、高校生だった頃に33歳だった大人を今思い出してみると
めっちゃおっさんやなー
とあの頃は思っていたけど、今自分がその年齢になっても全くその実感がない。


僕にはいとこがいなくて、周りに小さい子供がいないので子供と触れ合う機会がほとんどなく子供からみたら自分はもう立派なおっさんなんだろうけど、自分自身の実感として年齢を感じる事はほとんどない。


子供の頃の自分にとっておじさんになっていく事とは太ることや、髪の毛が薄くなっていく事、または髭が濃くなる事と思っていたが、今のところ相変わらず肌も荒れないし、生え際の後退もみられないので頭から爪の先まで石鹸一つで洗っている。髭が濃くならないのが少し残念だけど濃かったら濃いで毎日髭を剃ったりとか大変そうなのでまぁいいかと思っている。

スパの同僚は大体20代の人たちだけど、その人達とくらべて自分は歳だなーと思うのは頻繁にクルーバーに行ったり、パーティーに出たりしない事くらい。

話は変わるけどこれからはもうみんな歳をとらないのではないかと思っている。というのもAIが発展していき、僕がFacebookやこのブログ、また親しい人と交わしたLINEの内容をディープラーニングにかけて僕のような返答や発言をすることが可能なボットのようなものが作られる事は確実にやってくる未来なので、そういう意味ではこれからもう人は死んで肉体は果てたとしてもその人の思考や発言は生き続ける未来というのがやってくると思っている。


そうすると何をもって死ぬということなのかますます複雑になってくるが、人類総不老不死時代が近くやってくると思っている。


余談だけど今Netflixのブラックミラーというドラマにハマってて、これは海外版世にも奇妙な物語みたいな話なんですけど、その中のエピソード
“ずっとそばにいて”

http://vod.hatenadiary.jp/entry/black-mirror2-1


という話でも恋人を事故で無くした主人公が友達に進められ、生前の恋人の発言をSNSからクラウドにアップし、死んだ彼とチャット出来るようになり、それをきっかけに次は動画データから音声をアップし電話が出来るようになり、最終的には肉体まで錬成する鋼の錬金術師のエドとアルもビックリな展開になっていくのだが、死んだ人と電話する事くらいまでは可能な未来で、確実にやってくると思っている。

 

 

 


仕事について


鍼灸師という仕事、人を治すという仕事については非常にやりがいもあり楽しい。


ただこれからやってくる時代は病気をどう治すかよりも、どうやったら病気にならないかの方が絶対重要で、それに関しては東洋医学や鍼灸は得意分野なので、遺伝子関連の研究と共にそちら方面の研究がもっと伸びてくれればいいなと臨床の現場からは思っている。


ドラクエのダメージで例えると
ホイミ的な西洋医学と、スクルト的な東洋医学っていう感じ
ダメージを受けてから回復するのではなく、ダメージを受けない事。


スクルトの様な補助系魔法の方がボス戦では大事なように、医療も今後このように変わっていくと期待している。


何はともあれもう鍼灸師になって10年になり、人を治すという事についてブレずにやれているのは結果向いているんだと思っている。

 

最近臨床では良い治療をしようと思うのは前提として、患者さんと関係性を築く事に昔より神経を注いでいる。それは関係性を築いた方がプラセボ含め、鍼の効果が出やすいという独自の主観に基いている。


治療に関してはほとんどが局所治療で主に「ネッター解剖図譜」f:id:muranak:20180302080710p:image、「図説 筋の機能解剖」f:id:muranak:20180302080723p:imageをIpadに落として患者さんと一緒に見ながら
痛みが出てるのはこのあたりで、ここにはこの筋肉の腱が走ってるからこの筋肉緩めてみましょうかー
って言う感じでやっている。


当面の目標は今治療している患者さんのデータを取っていき、どういった分野の治療に自分は強くて、どういった分野が弱く、治らなかった人にはどういった共通点があったのか可視化していく事が必要だと思っている。


働く現場としてはもう少し豪華客船でいいかなと思っていて、今回のコントラクトからほとんど頑張らないことを目標に契約をこなしてるのだけれど、それでも幸い結果が付いてきているので、人の前に立って話さないといけない機会が多かったり、コミュニケーション言語が英語の中でも次第に慣れてきて、自分らしくいれるようになってきているのかなと嬉しく思う。

 

 

 


お金について


貯金はほとんど無い。昨年調子に乗って治療院を2つもオープンさせたせいもあるけど、稼いでいる額からは想定できない程貯金が無い。

ただ個人的には貯金ってあまり意味が無いと思っていて、貯金するくらいならもっと海外に行ったりとか、自分自身の技術や知識に投資したいと思っている。僕ら治療家の場合、それがわかりやすく患者さんの反応として返ってくるのでそれはありがたい。


今後も役に立ちそうだと思えばひょいとミャンマーの僧院に修行しに行ったり、アイスランドでフェルデンクライスメソッドの勉強会に参加したり、どんどん体や心について興味のある事に惜しみなくお金を使っていきたいと思っている。


船で働きたい日本人鍼灸師さんの勉強会の講師を何回かやらしてもらって思ったのが、売れる人はやっぱり治療が好きだし、良い意味でマニアックだ。船では1週間でトータル大体100回以上患者さんを治療するわけで、もし治療が嫌いならそれはとても苦痛だと思う。

 

もちろん船での仕事の結果は人前に立ってプレゼンやセミナーをする営業力と、実際治療する能力の足し算で決まるのだが、もし治療能力が低ければ商品価値のないものを売る営業マンのような辛さを味わう事になるし、治療能力が高くて営業力が弱ければ、本当は自分の治療技術で救える患者さんはたくさんいるはずなのに怠慢という事になってしまう。


なのでこれからも貯金するくらいならバンバンお金を使って技術を磨いていきたい。

あとはもっと金融商品にお金を回していきたい。このコントラクト中に円高が進行し、ドル建てでお給料が振り込まれる僕にとって痛かったけれど、それと同時にドルを500万円程空売りしてたので、円高になった分の損失を防ぐことができた。
投資信託とか仮想通貨とか、金融知識ももっとこれから勉強していきたい。

今現在会社からもらっている給料に不満は無くて、むしろ豪華客船での鍼灸師の仕事のコミッションが他の職種と比べ若干高すぎるような気がしている。鍼灸師の上位売上Top3に入ると船で働いているクルーの中で、キャプテンの次に稼いでいるのが鍼灸師という船も少なくない。もちろん自分の技術には誇りを持っているし、誰もがそんなに稼げるわけではないけれども、他のマッサージセラピストや美容師さんの同僚と比べ破格に待遇が良い。


もし世界中の鍼灸師の中でもっとこれから船での仕事をやりたい人が増えて来た場合、会社側としてはコミッションを下げてそれでも働きたい人だけという選択肢もあるだろう。


ただそうすると高額納税者の税率が高いと稼ぐ人はどんどん他国に逃げていく原理と一緒で、優秀な鍼灸師(ここの場合数字を残せる鍼灸師)はどんどん他の会社に逃げていくのだろうか。


あとはもちろんいったいいつまで会社に雇ってもらえるかわからないという不安は全くないわけでは無い。急に
君は成績が良くないから次のコントラクトは無しね。
と言われる可能性も十分にあるので、そこは会社に置いてもらえるだけのそこそこの成績と自分のストレスを天秤にかけて、これからもうまくやっていきたいと思っている。

 

 

 


人間関係について

 


日本での友人関係が船で働き始めて随分減った分、船で働いている人たち同士のコミュニティというのが新しく出来た。


今回のクルーズは日本人のクルーが100人くらいいるので、仕事が終わってからもみんなで人狼ゲームをしたり、ボードゲームをしたりして楽しんでいる。


一人でいる時間が長すぎる事は精神衛生上良くないと3コントラクト目くらいから悟った。


自分のようにどんなに一人が好きな人でも人間はやはり社会的な生き物なので、人や社会と関わりをどこかで求めている。ケアマネの仕事をしたおかげで一人でいるのが好きな自分も含め、こういった前提が間違ってない事を教えてもらった。


総じてこのコントラクトは本当に自分らしく過ごせている。(日本人クルーが多くいる特殊な船というのは関係しているのかなぁ)自分らしくっていうのを少し掘り下げると
“他人と比べない事”
“自分の価値観で人を判断しない事”
の2つで、この2つを実践していると本当に毎日が楽で、結果自分にめっちゃメリットがある。実際これらがどんどん実践されていくと
人を自分の主観で判断しなくなる→自分も人の目を気にしておっくうになることが無くなる→本来自分のもってる可能性やポテンシャルを最大限に発揮できるようになる
という好循環が生まれる。

みんな違って、みんな優勝。これは今自分が一番ハマっている言葉。
この前同僚に
Everyone is different, everyone is champion!
って言ったらハァ?って顔をされたけど、今後もこういう風に生きていきたい。

 

 

 

最後に

 


20代前半、千葉の銚子に旅行へ行った時思ったのが
銚子の高台からの海の景気が綺麗で、穏やかな風が吹いていて、自分は将来こういう海の近くで開業して、口は悪いけど根は優しい患者さんに揉まれながら、ワイワイとした毎日を過ごすんだろうなー
なんて漠然と思っていたけど、まさか海の近くどころか、海の上で働く事になるとは全く思わなかった。まだまだ英語で苦労する事はたくさんあるし、数字のプレシャーを感じる事もあるけれど、自分はこの世の中で一人しかいないという事だけですでに価値のある事だという事を前提に、別にポジティブでもなく、ネガティブでもなく自分らしくやっていけたらと思っている。

久々に長い文章が書けて、半年ぶりにブログを更新出来たのもお客さんがSea Dayなのに全然いないおかげ。
根拠のない自信を持ち続けるにはこれからもバンバン行動して、バンバン失敗して
でも結局大丈夫だったねー
っていう経験を蓄積していくだけ。

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うん、今暇だけどきっと結果何とかなる

 

https://www.amazon.co.jp/私たちは豪華客船で旅をしながら仕事する-メイド・イン・ジャパンのおもてなしを世界へ-Village-出版-Ryota-ebook/dp/B076D5ZWPH

 

ここが変だよ、ケアマネージャー。他職種から来た30代男性ケアマネの視点

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ケアマネの免許を取って5年目になる。元々はホスピスの事務長をやるにあたって何か箔をつけといた方がいいだろうという程度で取った資格で、全然活用はしていなかった資格ですが、将来日本で仕事するにあたり介護保険による固定収入を得るためにケアマネで一度働いてみるのも良いかなと思い働いてみました。

 

目次

 

 

 

 

 

ケアマネとは何なのか?

ケアマネとは

介護支援専門員(かいごしえんせんもんいん)は、介護保険制度においてケアマネジメントを実施する有資格者のこと。要支援・要介護認定者およびその家族からの相談を受け、介護サービスの給付計画(ケアプラン)を作成し、他の介護サービス事業者との連絡、調整等を行う。介護保険法に基づく名称は介護支援専門員であるが、ケアマネジャー(care manager)とも呼称される。

Wikipediaより

 

よくわからないのでざっくり言います。

「介護に関して困っている人の相談を聞いて、解決する方法を探す人です。」

 

ここで重要なのは相談に乗るという事です。私達ケアマネは相談に乗るということ以外、おむつ交換や、トイレの介助など一切の身体的介護はおろか、掃除や買い物といった生活に関する介護に関しても何もやりません。

ただ相談に乗り、その人がぶちあたっている困難に関して、介護保険サービスや、社会資源、家族含めた交友関係を駆使し、解決のお手伝いをする仕事です。

なので相談技術やバランス、本人を含む周りの話を聞き、調整して落とし所をどこにするかなどが求められる。先進国では大学を卒業した修士以上の学位を持った人が担当する事の多い専門職です。

 

 

ここが変だよ、ケアマネージャー、多すぎる研修、内省会

 

内省が多すぎる。

ケアマネは前に書いたとおり非常に専門性が求められる仕事です。相談、面接技術から、介護保険に関する幅広い知識、その土地にある介護サービスを中心とした社会資源、膨大なペーパーワークを処理するためのパソコン等のIT知識。

これらを全て兼ね揃えたスーパーマン(ウーマン)こそがケアマネに必要とされる人材になります。

噛み砕くと

「パソコンが超出来て、さらに人当たりもよく、かといって優柔不断ではなく決める時は決めて、幅広い知識と人脈を持つ人物です。」

そんなバランスの良い人はめったに存在しません。

そしてケアマネの世界は更新研修を始めとした、研修が山のように存在し、そこに出席する度に

「君たちはケアマネとしてまだまだだ。」

「ケアマネに医療の知識がない事が問題。」

「担当した事例を持ち寄って反省会をしよう。」

などとお金を支払った上、自己研鑽を促されるドMな研修が多々存在しております。

実際私も今年5年目で免許更新の年だったのですが。4万円ほどの講習プラス、延べ10日55時間におよぶ研修が存在します。

そしてみんな仕事の時間を削ってまで来ている中、研修最終日に講師から言われた一言は

「あなた達のような人達が実際にこれからケアマネの実務にあたっていく事を考えると、不安な気持ちが正直大きいです。」

などと揶揄されました。

 

最期くらい褒めても良いのでは、、

実際そう思っても

「お疲れさまでした。」

も一言で良いのでは、、

と強く思ったのを覚えています。

 

 

 

介護界に存在する価値観の押し付け

 

困難事例は周りが困難事例にしている。

介護界にはびこる“やってあげなきゃ病”の存在です。

僕の担当していたケースで介護付き高級マンションに住んでいるおばあちゃんがいました。

その方は認知症の初期症状、いわゆるまだら認知と呼ばれる段階で、ある部分ではしっかりしているがある部分はかなり認知が進んでいるという状態でした。

その方を担当する事になり、まずそのマンションの相談員に言われたのが

「薬の飲み間違いが最近多いので、介護保険で出来る部分はヘルパーに介入してほしい。」といった内容でした。

そこでご本人に話を直接聞くと

「私は薬の飲み間違いなんてやっていない。そもそも薬なんて飲まなくて良い。大事な薬は無い。」

とおっしゃります。

はい、意見の対立ですね。介護の現場ではよく見るケースです。

このケースの場合は本人とマンションの相談員との対立というケースですが、実際は本人と家族であったり、家族と介護施設、色々なケースがあります。

 

問題の一つはマンション側がすでに勝手に自分たちで介入している事でした。利用者からすれば介護保険は1割負担です。

ただマンション側でやってくれているうちはタダなのです。

利用者からするとタダで行っているサービスをいきなりケアマネがやってきて

「これからヘルパーが行う事になります。そして1割はあなた様の負担になります。」

と言われ納得できるでしょうか?

まずそこに一つの壁がありました。

そしてもう一つの壁は本人のニーズが無い事でした。

本人は薬はしっかり飲めているし、薬の重要性も感じていません。

それでも僕はなんとかうまく話しの流れで薬の重要性を引き出し、料金にも納得してサービスを入れていただければいいと思い、本人との話合いに望みました。

 

話し合いは二人で行う予定だったのですが、まず最初の誤算はそのマンションの相談員が、話し合いに勝手に参加してきたところです。

そこでうまく話しでくれるのかと思ったら

「もううちではお薬の管理ができないから。ヘルパーさんにやってもらう事になるからいい?」

と言われ、もちろんおばあちゃんとしては

「もう薬は自分でやりたい。いちいちマンションの人にも関わってほしくないし、自分で出来る。」

と言い張って聞きません。

そしてところどころで相談員が

「ケアマネさんからも何か言ってあげてください。」

と話しを振ってきます。その後二人はヒートアップし、最終的にはおばあちゃんが

「もうこんなところ入らんかったら良かった。」

とか

「もうはよ死にたい。」

という言葉を発するまでに至りました。

結局そこは喧嘩別れし、話がまとまらず本人抜きでその後相談員と話す機会があったので、僕ははっきり言いました。

「本人が望んでない事はするべきではない。薬の飲み間違いは心配かもしれないけどそれをあなたたちが強制できるほどの権利はない。」

と。この場合相談員は薬をいかにうまく飲んでもらうか。どうやったら自分たちの手間を減らし、ヘルパーに繋げられるかという事に執着していますが、問題はそこではありません。

 

薬をうまく飲める、飲めない。ヘルパーが介入する、しない。では無く、このおばあちゃんがどういう人生を歩んできたかという事が一番重要で大切な問題なのです。

 

多くの人が見逃したり、ないがしろにしがちなこの生活歴ですが実は認知症がみられる場合や、本人との意思疎通が難しい場合などにとても大きなヒントになることがあります。

国語のテストの解答用紙に必ず答えが載っているように、生活歴に必ず答えはあります。

例えばこのおばあちゃんの場合は結婚歴が無く、タイピストとして銀行で定年まで勤め介護付き高級マンションを購入した人です。

要するにずっとあまり人に頼る事無く、一人で強く生きてきておられたお方です。

お薬の飲み間違いが1度あった事実は事実ですが、なんでも一人でやりたい人です。その気持ちを汲み取る事もせず本人の思う暮らしは成り立ちません。このように生活歴を無視した介護サービスが現実にはたくさん存在します。

しかし残念なことにその後も相談員から

「服が最近汚れてるから着替えさせてほしい。」

とか

「お風呂に最近週1回くらいしか入ってないようなので入れてほしい。」

とか本人の意向を無視した、サービスの提案をされます。

それは本人から

「最近お風呂が入れなくて困っている。」

や、本人が服薬管理に失敗したり、お風呂に入るのが身体的にきつくなったタイミングで介入すればいいだけの話です。

このように周りが困難事例にしているケースがたくさんあります。

他にも老人ホームに入ってるおばあちゃんが

「家に帰りたい。」

と言ってきかない場合、大事なのは家に帰す、帰さないではなく、そのおばあちゃんが家にどれだけ思い入れがあるか、生活歴から計る事が重要なのです。

同じ家に帰りたいでもそのおばあちゃんが20代で結婚し、夫婦共働きで30半ばでやっとの思いで購入した思い入れのマイホームなのか、1か月前に引っ越したばかりの賃貸アパートなのかで「家に帰りたい。」の意味は大きく変わってきます。

 

今後認知症の人が増えていったときに、このような本人のニーズが無視される方が増えてくるのかなぁーと自分の身を含めて心配になります。

僕がおじいちゃんになったら折り紙を折ったり、みんなでテレビ見てまったりするようなデイサービスには行かせてほしくないなぁ、なんてよく考えました

 

このように周りが勝手に本人の性格や、生活歴を無視して“やってあげなきゃ病”に罹患しているばっかりに困難事例にしているケースが多々存在するのです。

 

 

 

このようにケアマネは非常に大変な仕事ですが、それ以上に学べる事や、やりがいの多い仕事でもあります。

次回はまた時間があればケアマネで実際関わった利用者さんで興味深かったケース、ケアマネの相談コミュニケーション技術で使えそうな所をまとめますので良かったら見てみて下さい!

 

 

 

 

 著書です。興味がある方はご購入お願いします(^^)

 

Happiness depends on what you think.〜About Japanese meditation center experience

What is Vipassana meditation training in Japan?

What is Vipassana meditation training? Vipassana Meditation was created by Buddha. It’s an ancient technique of meditation established about 2600years ago.

According to the examination you can expect reduce your brain’s oxygen consumption more than sleep. It mean much better to relax than sleep.

I trained to do Vipassana meditation in Japan. There are two Vipassana meditation centers in Japan; one is in Kyoto and another one is in Chiba prefecture. I went to Chiba prefecture for my meditation training.

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 Contents

 

 

 

 

During 10 days

  • No talking with others
  • No alcohol, smoke
  • No use electric devise
  • No sex
  • Don’t go out side

It was pretty strict

 

How many people at there?

60 people joined this training: 30men and 30women. About 10 are foreigners.

 

Fee

Free. You don’t have to pay anything. You can donate any amount if you want.

 

Food

Food Simple vegetarian dishes are prepared for the students. Fish and all kinds of meat are not allowed.

 

Residence

You can either stay in a tent or a room. Staying in a tent can give you more privacy, while staying in a room might be more comfortable because of the room’s temperature.

 

My own experience

First 4 days We learned Anapana meditation technique on our first 4 days. It is a about being mindful of your breathing. You have to observe and focus on your breathing. You may breathe through your left nostril, or your right nostril, or through both. When you exhale you might feel the air on your upper lip. You just have to be mindful of your breathing. It may sound easy, but it was really difficult to concentrate on breathing. Your mind may wonder and think of other things. You may tell yourself: What am I doing? I want to go somewhere. When your mind starts to wonder, you have to re-focus on your breathing as soon as possible. We had this kind of training for 3 and half days, almost 35 hours.

 

After this training we started to learn Vippassana meditation way

Move your consciousness forehead, Top of head, and spread from nose and mouth area.

You may feel some warmness, tingling, itches sensations.

One thing for sure, any type of sensation has common thing.

“It appears and disappear.”

We learned about "impermanent" from these kind of sensations.

 

If you are improved, you can feel some sensation where you just conscious area very quickly.

After 10 days we felt really improve to realize sensation.

 

What do we expect to do meditation?

  • concentrate the mind on the present moment.” 

“Do not dwell in the past, do not dream of the future, concentrate the mind on the present moment.”

  • Lowering the threshold of to be happy

 “You can be happy with even a very little, small, tiny thing”  

 

URL  https://www.adicca.dhamma.org/en/the-chiba-centre/

 

 

Be happy!

資本主義ってもうオワコン?

この前フィリピンから帰ってきた世界を飛び回る鍼灸師のミツ君

palpation.blog.fc2.com

と色々喋ってて、二人の間にはやりたい事とか、向いている方向とか全然違ってて、お互い哺乳類って事くらいしかもはや共通点が無いんですけど、「資本主義そろそろ限界じゃね?」って所はお互い同じ認識でした。

 

 

私の好きな原始仏教の観点から見ると資本主義って欠陥だらけなんです。

 

 

ブッダは2500年前、人は生きていく上で、なぜ苦しまなくてはいけないかという事について真剣に考え、108ある煩悩の根本の煩悩として“三毒”を定義しました。それは“むさぼり、怒り、愚かさ”の3つです。

 

 

今日は資本主義と結びつきの強いむさぼり(craving)について少し考えようと思います。

 

食べるという事にも適量があり、食べ過ぎると肥満につながり、それが健康を害するという事はみんな知っています。

しかし現代においてお金や異性関係についてはあまり考えた事がない人が多くいるように感じます。

 

お金はあればあるだけいい。異性にはモテればモテるだけいい。

と思っている方は少なくないのではないでしょうか。

 

TVをつけると、またはインスタグラムやFacebookなどのSNSでもてはやされるような人たちはお金をたくさん得て、贅沢な暮らしをしている人や、モデルのような恋人と付き合った、別れた。などという情報が大量に入ってきます。

 

そして私たちは時にそれを

「ああいう風になりたい。」「お金を気にせず、自由に生きたい。」

だとか

「あんな素敵な人が恋人だったらどれだけ幸せな毎日なんだろうか。」

といった羨望の眼差しで見つめます。

 

 

現代に生きる私たちにとって“むさぼり”を辞める事は難しいかもしれません。

 

 

私もかつてはワクワクやドキドキが大好きな人間でした。

そこにやりがいや、価値を見出してきました。

何か目標を設定し、それが達成されれば喜び、ダメだと自分の事を惨めに思って、またそれをバネに生きてきました。

幸いだったのは持ち前の物忘れの早さで立ち直り、今日まで色々な人に支えられながら、概ね満足に生きてこれたという事です。

 

先の記事から述べている瞑想が自分の感覚に目を向ける事、つまり内の世界に目を向ける事と表現するならば、私は外の世界に目を向けてきた人間という表現が正しいかもしれません。

そして今の社会を生きる多くの人がそうであると言えます。

 

20代の私はまさに感覚器(視覚、味覚、触覚、聴覚、嗅覚)を通して入ってくる刺激に対して幸福を見出し、それによって得られる刺激に一喜一憂をしていたワクワクドキドキ至上主義であったと言えるでしょう。

 

しかし今は少し変わってきています。

 

もちろん何かにチャレンジする事は成功しようが失敗しようが、それによって自分が高まり、成長できるという点で素晴らしいです。

その価値観は否定しようがありません。

 

しかしバランスも重要かな。

と、こういう考えも出てきたのです。

 

 

 

資本主義、ワクワクドキドキ至上主義の問題点

 

資本主義、そして20代の頃の私のようなワクワクドキドキ至上主義には問題点が二つ存在します。

 

  • 高くなっていく目標

 

そういうワクワクドキドキ価値観至上主義の一つ目の問題点は、目標がどんどん高くなっていきます。

 

例えば私は学生時代、自分が社会に適合できるかすごく不安でした。

勉強はできない。そして昔から協調性も無かったので、どのグループに所属しても何か自分が認められていない疎外感のようなものを感じていたからです。

そして学生時代の自分が置かれている状況から、自分が社会に出てまともな仕事に就き、ちゃんとごはんが食べていけるか。

その点で不安だったのです。

 

好きな事を仕事にしたい。だとか、情熱をもって仕事をしたい。とかそんな夢のある学生ではありませんでした。

 

しかし社会に出てみると、思っていたよりやりがい、経済的にも満足した生活が送れています。

少なくとも学生時代よりは充実した毎日を過ごせています。

 

 

 

少し話が逸れますが先ほど言った協調性という面では、私は今でも友達を作る事はうまくありません。

 

しかし“仲間”は割と集まってきてくれる事に気付きました。

 

仲間と友達には大きな違いがあります。

“仲間”とは何か共通の目的を持って集まる集団の事です。

逆に友達とはそれの逆、何もお互い共通の目的等がなくても、一緒にご飯に行ったりできる関係と言っていいのではないかと思います。

 

例えばドラゴンボールではほとんどのパートで共通の敵がいます。ベジータ、フリーザ、セル、魔人ブウ。

彼らと戦っている時、悟空を中心としたキャラクターはとても団結します。

しかし敵を倒し、平和が訪れるとどうでしょう。彼らはとても暇そうです。笑 

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悟空中心に考えるとピッコロ、ベジータ。この二人は絶対に仲間であって、友達ではありません。(休日に彼らが一緒にスタバ行く所とか想像できません。)

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話が横道にそれましたが、私達は目標を設定し、それを達成したり、達成しなかったりの繰り返しです。

 

 

 

 問題なのは叶えられそうな目標では心は満足しなくなっていきます。 つまり目標は高くなっていきます。

私が学生時代、

「社会に出てご飯が食べていけるか不安だ。」

「どんな形でもいいから、社会に認められ、生きていけるようにならないと。」

という所に目標を置いていたのにも関わらず、今はそれだけでは満足できなくなっているのもこの一例です。

 

前にも書いたように人の欲にはアトピー性皮膚炎のかゆみに似た要素があると思います。

かゆい→かく→傷が深くなりもっとかきたくなる。

muranak.hatenablog.com

 

 

 

  • 欲望のすり替え

 

もう一つの問題点は欲望のすり替えです。人が何かしたい、こうなりたいと思う時、それは必ずそれが達成されてない状態です。

 

 

そして、その欲望に対する刺激が増えます。

 

その欲望さえ達成すれば、人生の全てが上手くいくと脳が錯覚し、思いこんでいます。

または自分の人生がうまくいっていないのはその欲望が達成されていないからだというすり替えが発生します。

お金が無い人はお金さえあれば、幸福になれると思っています。

恋愛で苦労している人は素敵な人と結ばれさえすれば、全て上手くいくと思っています。

時間が無い人は仕事から解放され、自由な時間さえあれば幸せな人生が送れると思っています。

 

結論から言うとそれは違います。

 

そして繰り返しですが私達はそんな事を達成したり、達成しなかったりを人生の中で繰り返します。

 

私がそういった経験の繰り返しの中で、提案したいと言いますか、違う価値観に気づいたのは、そういう生き方プラス内側に目を向けるという事です。

 

 

なので

資本主義が悪い!とか

そんな生き方狂っているから、今すぐ辞めて目を覚ますんだ!

と言ってるわけではありません。

 

プラクティカルに考えて、そちらに深く足を突っ込まないほうが何か目標が達成されなくても自分の事を惨めに思ったり、それについて落胆したり、悔しい思いが薄れるのです。

 

外の世界にしか目をやっていないと、一つの物差しでしか自分を計れません。

しかし内に目を向けている人は、違う物差しで自分を計ることができます。

 

まるで西洋医学と、東洋医学の人体の捉え方のようです。

すごく痛みがあるのにレントゲンMRIで何も異常が見つからない。

西洋医学では臓器、筋肉、それぞれを分けて観察しますが、東洋医学では人体を一つの塊として大きな目で観察します。西洋医学は木を見て、東洋医学は森を見るなどとよく言われます。

このように考え方が違うので、ずっと病院に通って治らなかった人が、嘘のように1回の鍼治療や漢方で治ったりします。

 

豪華客船で多くのアメリカ人を治療していても思いました。彼らには選択肢が少ない(西洋医学に偏っている)せいで、薬漬けにされ、注射を打たれ、数多くの手術を受けていますが、今だに多くの人が、痛みをはじめとする症状に悩まされています。

 

つまり体(体に対する西洋医学、東洋医学)にしても、心(心に対する内側、外側の視点)にしても色々な視点を持っているということは、どちらが優れてるという問題では無く、それだけで良いことであると言えるでしょう。

 

心に対する多くの人が持っていないもう一つの視点というのは、先ほど言ったお金や、恋愛でいうと

“豊かになれば幸福なのでは無く、幸福だから豊か”

“素敵な人と一緒になれれば幸福なのでは無く、幸福だから素敵な人と一緒になれる“

“成功したら自分を好きになるのでは無く、自分を好きになるから成功する。“

 

という非常にシンプルな内向きの視点の事です。

 

 

このような事に気づく事が出来れば、何か人生に閉塞感を感じている人や、漠然な不安を抱えている人の多くは救われる可能性があると思います。

 

 

 

欲望がひたすら高くなっていく事。欲望のすり替えが起こる事。

資本主義が大事にする“むさぼり”にはこのようなデメリットが存在します。

 

ミツ君はまた私とは違った目線で資本主義を批判していました。

それは大量生産、大量消費による心の問題です。モノに溢れた現代で、モノの価値は急速に下がってきています。

つまり変えが効くのでモノを現代人は大事にしません。そしてそのような傾向はモノだけでなく、人間関係にも伝播するのではないかというのがミツ君の考えでした。

 

もしこの記事を読んでくださった、かつての私のようなワクワクドキドキ至上主義の方がいらっしゃったらTo wisdom (より賢く生きる)のために是非一度、こういった視点を取り入れてみる事をオススメします。

その結果

「やっぱり自分には資本主義社会の物質的な豊かさで得られる幸福の方が自分に合っているな。」

と思えば、その道を生きれば良いのです。

 

テレビなどを見ていると誰もが消費によってしか幸せになれないような錯覚を生み出します。

 

選ぶかどうかは別として、こういう生き方や視点もあるという事だけ頭の片隅に置いていただければ幸いです。

 

ありがとうございました。

インドに行っても”自分”なんて見つからない件

 どうも、リョウタです。

ミャンマーでの瞑想体験記を書く前に日本の瞑想体験記をちゃんと完結させます。

 

 

自分を変える為にどうしたら良いかの結論

 

 

仏教用語、パーリ語で”サンカーラ”というものがあります。

古代インドの仏典に多く記述され、日本の般若心経にも登場する大事な言葉です。

 

サンカーラ:反応(心の条件付け)

 

とありますが

人がストレス等を感じた時にそれに対する反応が生まれ、それが心の奥底に溜まっていきます。

ストレスと違うのは、サンカーラは何か「良い記憶」に対しても、それに対する渇望という形で溜まっていくという事です。

 

僕が勝手に分かりやすく解釈した感じでは、ピクサー映画“Inside out”のあのボールみたいなものだと思ってください。

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まずこのサンカーラを新しく貯めない事というのが重要になってきます。

このサンカーラは感覚と結びついていますので、その為にわざわざ僕たちは人里離れた山奥で、誰とも喋らず粗食を食べる事で視覚、聴覚、味覚などあらゆる感覚器を通して入ってくる刺激(情報)を遮断した生活をしているのです。

 

そのようにして情報という名の心の養分を断つとどうなるか。

 

例えば体の養分を断つ。つまり断食をしても3日、1週間、はたまた1か月は水があれば生きていけます。それは体に溜まった脂肪が燃え始めるからです。

 

心も同じです。会話をしない。携帯、Twitter、SNSをチェックしない。読み書きをしない、テレビやマスメディアに触れない。

つまり心が大好きな情報(養分)を断つと、体の脂肪が燃え始めるように、過去の溜まり溜まったサンカーラが浮かびあがり燃え始めます。

 

修行が終盤になるに差し掛かり、深い瞑想に入っていく事で、過去に溜まったサンカーラが燃え始めるのです。

 

聖なる沈黙の後、何人かの古い生徒さんと話す機会がありました。

彼ら曰く、何回もこの修行に参加する事によって、今まで忘れていた事すら忘れていたような事を思い出し(それは大体嫌な思い出らしいのですが)、それと向き合う事を求められると言っていました。

 

 

今回3回目の参加女性は

1回目は高校時代、2回目は中学時代、3回目は小学生時代の思い出が掘り起こされ、いじめられてた事など、それと向き合う事を求められた。

と言っていました。

 

しかしなぜこんな辛い事をしてまで、わざわざサンカーラを燃やす必要があるのでしょうか?

 

 

 

 

いきなりですが、真実はいつも一つではありません。

 

こんな事を言うと体は子供、頭脳は大人のメガネをかけた名探偵に怒られそうですが

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大事な事なのでもう一度、真実はいつも一つではありません。

 

”盲人象に触れる”というインドの古い話があります。

ある盲人5人を象のところへ連れて行き触ってもらい、象とはあなたにとってどんなモノだったかを尋ねました。

 

ある人は足に触れ

象とは柱のようだった。と言い。ある人は尻尾に触れ

象とはムチのようだった。

と答えたそうです。

 

これは現代の私たちの世界にも起こりえている事です。

例えばレストランに行った時、色彩に関する勉強をした事がある人ならそのレストランのテーブル、イスの色が気になるかもしれませんし。

またレストランのホールで働いた経験のある人なら、いかにテーブル、イスが綺麗に整えられているか。

またキッチンで働いた事のある人なら、料理の盛り付けが魅力的になされているか。

そのレストランで過去、恋人に壮絶なフラれ方をした人なら、レストランに行く事すら嫌悪感を覚えるかもしれません。

4人とも同じレストランに居るのにも関わらず、見えているもの、感じているモノはそれぞれ微妙に違うのです。

 

その見えているモノは過去の経験、価値観つまり過去に貯めたサンカーラに基づき変わっていきます。

つまりInside outで言うとヨロコビ

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の経験が過去多かった人はヨロコビボール(サンカーラ)が心に溜まっていき、ポジティブで外交的な性格に

カナシミ

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の経験が多かった人はネガティブで内向的になる傾向があります。

 

そんなサンカーラによって見えている世界、そして支配されている感情や、行動を潜在意識という事もできるでしょう。

 

僕たちは生まれ持ったポジティブ、ネガティブ、内向的、外交的、怒りっぽいなどの性格は変える事ができないと多くの人が思っています。

 

しかし瞑想によってサンカーラを燃やしていくとどのような事が体に起こってくるのでしょうか?

 

  • ブッダが考えた潜在意識へアクセスするKey

僕たちの意識には表面(顕在)意識と潜在意識というものがあります。

顕在意識とは普段表に現れる、いわゆる思考というものです。

しかし行動を決めるのは90パーセントが潜在意識によるものだと言われています。

”話している途中に足を組み換えよう。”

”寝ている時に蚊にさされて、そこを引っ掻く。”

のような些細な事から

“こんな事で怒るのはばかばかしいと思っても怒る。”

“こんなこと考えてもしょうがないと思っても、考えてしまう。”

“ダイエットしているから食べてはいけないと思っても、食べてしまう。”

“もっと努力しなきゃと思っているのに、怠けてしまう。”

これらの人たちは怒りっぽい人でもなく、考えすぎる人でもなく、怠惰な人でもなく、そうせざるをえない人たちなのです。

つまり潜在意識によってそういうメカニズムになってしまうのです。

体をコントロールする心が未熟だと、いくら自己啓発に触発されようが、セミナーに出ようが何をやっても結果的には変わることが出来ません。

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 ここからは私の推測ですが

きっとお釈迦様はこう考えたと思うんです。表面意識から体の感覚を媒介して、潜在意識にアクセスできるはずだと。

 

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つまり普段我々が見過ごしている呼吸、肌に風があたる感覚など、とるにたらないような些細な感情、感覚を感じることによって、まず潜在意識を表面意識化していく。

 

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フロイトも同じような事を言っていますが、潜在意識の表面意識化以外に潜在意識を変える事は出来ないのです。

よく我々も気付いていない事は変わりようがないと言いますが、まさにその事です。

この呼吸を代表とする普段意識していない事に”いちいち”気づく事により、表面意識と潜在意識の間にある強固な壁が薄れ、怠ける事なく、感情の渦に支配される事なく、自分の進むべき、行きたい道に進めるようになると。

 

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これが実現可能になると少し大げさな言い方ですが、あなたの見えている世界は劇的に変わります。

たくさんのことに気づき、明晰になります。

 

感覚器を通じて感じている自分と、それに気づいている自分が乖離し、さらに気づいている自分の方が、感じている自分より大きく成長する時、極端な話自分というものは無くなります。

 

 

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実践マインドフルネス 今この瞬間に青空を感じるためのレッスンより抜粋

 

「自分のため 」とか 、「自分がいい思いしたい」とか 、そういったものがほとんどなくなります 。なにしろ観察している自分がメインです。そうなった場合、自分はどういう存在になるかと言えばある意味 もう自分のためには生きられません。他とのつながり、あるいは他の生きとし生けるものとのつながりの中にしか、自分は存在しなくなるわけです 。

そうやって自分の物、欲望、思考への執着が滅していきます。

 

 

 

10日目

午前の瞑想が終わると瞑想センター前に

”聖なる沈黙は解かれました。”

との掲示

 

僕たちは一斉に喋り出しました。

男の人は住職、バックパッカー、SE、休職中の人、フリーター色んな人がいて楽しかったです。

僕はみんなに外人だと思われていました。(なんか最近シンガポールか香港出身とよく言われます)

 

講話でこのおしゃべりはいわばリハビリ、社会に戻っていくために必要なことと言っていました。

 

 

その日の夕方も、普通に瞑想する時間があったのですが、会話の後だと、明らかに今まで感じてた感覚より弱くなっていること、呼吸への集中が難しくなっている事に気づきました。

 

 

以上で日本の瞑想センターでの体験記、瞑想によって僕が感じた事のまとめは終わりです。

 

結論だけ言えば、自分にとっては非常に実りある10日間でした。

 

この後何も刺激のなかった千葉の山奥から、もっとも刺激的な街ハロウィンの東京に戻ってきて、視覚、嗅覚、聴覚あらゆる刺激の圧倒的な量にどっと疲れてしまいました。

 

またミャンマーの瞑想体験記については後日書いてみます。

 

 

 

最後に

 

悟りを得たお釈迦様は人間のタイプを4つに分類しました。

光から闇に向かう者。光から光に向かう者。闇から闇に向かう者。闇から光に向かう者。

最初から解説しますと

裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ったのに欲に溺れたり、劣等感に苛まれ、惨めな感情をいつも抱きながら不幸な人生を選ぶ者。

裕福な家庭に生まれても、欲に溺れず正しい道を選ぶ者。

貧しい環境で生まれ、自らをまた貧しい、苦悩の道に招いていく者。

貧しい環境に生まれても腐ることなく励み、世の真理を理解し、安らかで幸せな人生を歩む者。

 

光に生まれるか闇に生まれるかは選べませんが、向かう道を選ぶことはできます。

 

瞑想の実践によってあなたが気づき、僕が気づき、周りの人が気づいていく。

それが僕の理想です。

 

長々としたまとめになってしまいましたが、最後までこの日本での瞑想体験記と考察を読んでくださり、ありがとうございました。

 

豪華客船で30ヵ国、80都市以上回った僕がオススメする港町BEST5

 

最近瞑想関係が多かったのでたまにはポップな記事を。

ふと思ったのはこのブログのタイトル『カリブ海にて考え中』って言いながら、ブログを始めたのは地中海クルーズの時からですし、今もミャンマーのヤンゴンで書いてるので、全然カリブ海で考えてないんですよね(笑)

 

それにしてもヤンゴンは面白い街です。

かつてアジア最貧国と言われたミャンマーですが、スーチーさんが政権与党になってから、目覚ましい経済発展が始まっています。

それでもホテルの受付曰く25%程の権力はまだ軍事政権や、前の既得権益に掌握されており、改革は円滑には進んでいないという事ですが、これからどうなる事でしょう。

 

 

 

さて本題

豪華客船で働いて3年が経ちましたが、最もよく聞かれる質問の一つに

で、結局どこの国(町)がええのん?

という質問です。

 

前のSea day、Port dayという記事の中でも触れましたが、僕たちが町に降りる事の出来る時間というのは限られています。

ポートによっては夜遅くまで停泊する場合ありますが、大体の場合8:00〜18:00くらいです。

 

なのでその町に旅行し泊まるのと、クルーズで訪れる事の間には大きな違いがあると思います。

 

といっても、もうかれこれ30か国以上、80を超える町を訪れましたので個人的な偏見でBest5を決めてみたいと思います。

 

 

 

 

第5位 グランドケイマン(カリブ海、イギリス領)

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結論から言うと、カリブからはこの島だけがランクインです。

少し前、タックスヘイヴンの地としてニュースになった所ですが、海の綺麗さだけを見たらディズニーのプライベートアイランド、キャスタウェイケイよりグランドケイマンの7マイルビーチの方が綺麗でした。(季節や気候による)

ここでは

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パラセーリングしたり

 

 

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みんなでビーチ行って泳いだり

 

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なんせ海が綺麗

 

ただカリブの島全体に言える事ですが商売してる現地人がたくましすぎるので、押し売りとかに気をつけてください。

 

  • グランドケイマンのオススメスポット

マリオットホテルf:id:muranak:20161226211814j:plain

http://www.marriott.co.jp/hotels/travel/gcmgc-grand-cayman-marriott-beach-resort/

 

ここに来れば大体皆さんが期待してるような、カリブや南の島での定番の過ごし方。つまりビーチに寝そべって日焼けしたり、リクライニンチェアで海を眺めがらビールを飲んだり、Wi-Fiを使ってSNSにポストしたり、ハンモックに揺られたり、もちろん透明な海で泳いだり全てがここに詰まっています。全てここで満たされます。

ここの併設レストランでランチを食べれば、リクライニンチェアなどのホテル施設を使うことが可能ですので、ホテルに宿泊する必要はありません。

上であげたビーチの写真も全てこのホテルの併設ビーチで撮ったものです。

7マイルビーチとはその名の通りかなり長いビーチなのですが、海水浴場によってはあまり綺麗じゃないところもあります。

ここは人もそれほど多くなく、一部のクルーにしか知られてない本当に穴場スポットなので、グランドケイマンに行った時は是非ご利用ください。

 

僕のケースですとグランドケイマンに休日をいただくと

友達と一緒にホテル行く(タクシーは相乗りが安いので)→ホテルのレストランでオーダー→インターネット→ランチ→ハンモックで揺られながらインターネット→少し喋る→インターネット→海で泳ぐ

というのが王道でした。

 

ちなみにグランドケイマンには美味しいタイレストランもあるのですが、ここはクルーメンバーの溜まり場になっていました。

クルーズ船が3隻も停泊している時などは、人でごったがえしてました。(基本的にクルーはWi-Fiが目当てでもありますから、回転悪いですし。)

 

あとサンゴ礁保護の観点や遠浅になってるせいか、クルーズ船のような大きい船が着岸できないんです。

なのでテンダーボートという小さい船を渡し船のように使って、クルーズ船と岸を行き来するんですが、この時に船の写真が最高に格好よく撮れます。

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これも僕にとっては嬉しいことでした。

 

 

第4位 リバプール(イギリス)

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リバプールはイギリス北西部の中心都市。1900年代前半はイギリス有数の湾港都市として栄え、現在はビートルズの出身地として、またはアートオブジェを街中にたくさん作るなどして観光に力を入れてます。

 

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クルーズが停まっている場所の港湾部一帯が、ユネスコに世界遺産登録されています。

 

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僕はビートルズの大ファンなんですが、ビートルズストーリーという博物館がその港湾部にあります。

 

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北海道でGLAYを聞きながらツーリングしたり、リバプールでビートルズを聴きながら闊歩すると、普段聞いてる曲も、なんだか違って聞こえるので不思議です。

 

港から街の中心まではとても近く

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駅前広場

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City center

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大聖堂を中心に見るべき所はいっぱいあります。

 

自分がビートルズ好きというのもありますが、それを差し引いてもすごく雰囲気の良い街です。

2回寄港したのですが、そこそこ大きい街なので観光するのに全然時間が足りませんでした。近くに同規模の街マンチェスターもあるのでゆっくり3日くらい滞在するのも良さそうです。僕もプライベートでまた来たいです。

海があって、公園があって、歴史もあって日本でいうと横浜に似てます。海風を切って自転車なんかで回れたら、気持ち良さそうです。

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建物もTHEイギリス建築って感じでオシャレですし、歴史のある街なので良い感じに年記が入った建物が多いです。

 

  • リバプールのオススメスポット

Liverpool public library

リバプール市立図書館に行ってください。素敵すぎます。雰囲気がハリーポッター以外の何ものでもありません。

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ディズニークルーズが初めて寄港したという事もあってか、出港時はたくさんの人が見送りに来てくれ、花火で盛大にセレモニーまでしてくれました。

 

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第3位 スタヴァンゲル(ノルウェー)

 歩いているだけで人を幸せにさせるカラフルでアートな街。

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ノルウェーフィヨルド入り口に位置する小さな港町。

オススメしといてなんですが、この町には特に見るものはありません。

ただひたすらに町全体がおしゃれです。

なので歩いているだけで人を幸せにさせるという力をこの街は持っています。

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街の雰囲気がクラシックなデザインのディズニー船にピッタリです。

 

そして町のどこを歩いていても写真を撮りたい気分になります。

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カラフルには人をひきつける効果があるという心理効果があるらしいのですが、それがこの町に来る人を特別な気持ちにさせる要因の一つかもしれません。

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北欧の人は文学を好みます。冬が長いですからね。

 

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こういうノルウェー人の気質は日本人に似てるかもしれません笑 

 

  •  スタヴェンゲルのオススメスポット

行く場所が無い。と言いましたがコーヒーやカフェ好きの方であれば、僕の行きつけのカフェ「ハネカム』にぜひ行ってください。

店員さんも愛想が良く、もしまだ働いていればヘレナ・マットソン似のお姉さんがいるはずです。

船がこに寄港するたびに私は寄っていました。(別に彼女目当てでは無い)

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ハネカム!

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店内、見えにくいですが店の奥にサーフィンボードを持ったチューバッカがいます。

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トイレの中までご覧のようにこのこだわりよう。

 

ただこの辺りは高級住宅街でもあるようで、洋服とかはものすごく高かったです。あとわりと美味しい日本食のレストランもあります。

 

先ほど言ったようにこの街は特に何をするわけでもなく、ただふらふら歩いてるのが楽しいです。

なのでリバプールとは逆に、ここで3日過ごせって言われるとちょっと退屈するかもしれません。たまにはゆっくりするのもいいですけどね。

 

 

 

第2位 タリン(エストニア)

リアルFF、ドラゴンクエストの世界

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エストニアの首都タリン。

フィンランド湾を隔てて、ヘルシンキとはわずか80キロしか離れておらず、高速船なら1時間半程度で移動できるらしいです。

ヘルシンキに行った友達は何人か知ってますが、個人的にはタリンの方が

俺はタリンの事が好きだー!!って水平線に向かって叫びたくなるくらい好きです。

 

ドイツ、スウェーデン、ロシアに占領された歴史のあるこの町は、町の外壁をぐるりと城塞に囲まれる城塞都市です。

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城塞都市という響きだけで、なんかカッコよさに痺れます。

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今その城壁はカフェとして利用されています。

 

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世界遺産に指定される旧市街地に入ると、街並みが整然としています。

 

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花や植物も多いです。見ていて癒されます。

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ピーナッツ売りの少女

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こういう路地も多いです。こういう路地大好きです。

 

1980年代後半、ソ連の崩壊の兆しとともに独立の気運が高まり、1988年、タリン近郊の「歌の原」に約30万人(当時エストニア全土の人口は約150万人)が集い、ソ連により禁止されていたエストニアの民謡などを歌う事件があった。これによりますます独立の気運は高まり、1989年にはタリン、リガヴィリニュスバルト三国の3都市を「人間の鎖」で結ぶ運動(バルトの道)に100万人が参加した。1991年に独立を達成。このことからエストニアの独立は「歌による革命」とも言われることがある。

wikipediaより

なんか街並みといい、歌による革命といい、いちいち厨二心をくすぐりますね。

 

また旧市街地なら半日と少しあれば、回りきれるので大きすぎず、小さすぎず豪華客船で寄るのに丁度いいくらいのサイズという所がまた良いです。

この町の雰囲気はRPG好きにはたまりません。

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石畳、城壁、砦、中世みたいな格好した人々。

  • タリンのオススメスポット

タリンにあるビーガンレストランVegan restoran Vはめちゃオススメです。(綴りは間違ってません、正式名称です)

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www.tripadvisor.jp

肉を食いたいって文句言ってた同僚を無理やり連れて行ったんですが、うなるくらいの美味しさでした。 

 

第一位 レイキャビーク(アイスランド)

世界最北の首都。とりあえず自然凄い。

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ローマ字ではReykjavíkと書きます。初めてだと何て読むか戸惑いますよね。

 

有名なのはブルーラグーン。

僕はレイキャビクに寄港する日なぜか呪われたかのように忙しいことが多く、残念ながらブルーラグーンには行ったことないので、友達が行った写真貼っておきます。

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なんかいいらしいですよ(適当)ちなみに予約が必要なのでツアーじゃなく個人で行く人は気をつけて下さい。

 

白夜で有名なアイスランド。

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深夜1時、船のデッキから

夏の間は数十分しか日が沈みません。冬の間にクルーズ船が寄港することは無いと思いますが、逆に4時間しか日照時間が無いとか信じられませんね。

アイスランド人は『その人の本棚を見てその人がどんな人か見定める』というのも納得できます。世界一読書をする国民、また10人に1人は生涯で自分の本を出版するらしいです。情報源https://www.theguardian.com/books/booksblog/2008/oct/03/1

 

  • レイキャビクのオススメスポット

ゴールデンサークルのツアーに申し込んでいれば間違いない。

ゴールデンサークルツアーに申し込むとツアー時間にもよると思いますが、見所であるグトルフォスの滝、シンクヴェトリル、ゲイシャーには寄ってくれるはずです。

日本からもツアーを組めるはずですが、レイキャビクの市街地にある旅行代理店に直接行って申し込んだ方が断然安いはずです。結構空きはあります。(ただし朝早く行ってください)

 

地球の裂け目 シンクヴェトリル

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空が低い。

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 グトルフォスの滝

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ゲイシャー

火の国アイスランドと言われるほど火山が多いアイスランド。

オススメしたゴールデンサークルはそれはとても素晴らしいんですが、そこに行くまでにバスの車窓から見える景色全てがとても荘厳で美しいです。

全島観光スポットと言われる由縁がわかります。

 

時期によってはオーロラも見れますし、アイスランド第二の都市アクレイリの近くにも大自然を感じられる場所がいっぱいですので、アイスランドには一週間ほど滞在してみることをオススメします!

 

以上。

 

僕の独断で決めたTOP5でした。

ちなみに僕が周っているのはカリブ、北米、北欧、地中海のあたりなので、アジアとか中東の方は全くわかりません。

そちらの方も機会があれば是非行ってみたいです。

 

 

 

おそらくこれが2016年最後の記事です。

このブログを見てくださってありがとうございます。

意外な人から見てるよ。と言われると嬉しくなります。

 

皆さんが来年も幸せでありますように。

また来年もよろしくお願いします。

 

 

 

ミャンマーの僧院でクリスマスを迎えたのですが、申し訳程度にこんなお菓子が出てきました。

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これが僕の今年唯一見た、クリスマスっぽいものでした(笑)

みなさま よいお年を

 

 

第15回 瞑想したらなんだか、かめはめ波打てそうな気がした。

4、5、6日目 

私は今さらなる修行の為にミャンマーに向かっている途中なのですが、乗り継ぎのマレーシアで前回の修行の体験を完結させていない事を思い出し、必死にまとめています。笑

 

 

 

 

 

4日目の朝。

朝4時に起床し、いつものように瞑想センターに向かうとある掲示が。

 

“本日の午後よりヴィパッサナー瞑想の指導が始まります。”

 

やっとこの呼吸を感じ続ける毎日から脱出できるのか。

私はドラゴンボールでいうと、界王様の所に修行に来た悟空がやっと界王拳を教えてもらうかのように、舞い上がりました。

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しかし一方、私達はお互いに喋ることを許させれていません。
自分が今までの瞑想で正しい方向に向かっているか、感覚をしっかり感じとれているのかは、誰にもわからないのです。


聖なる沈黙と呼ばれるこの9日間、私達はアイコンタクトや、ジェスチャーによる意思疎通も許されていません。

 

そして午後、いよいよヴィパッサナー瞑想の指導が始まりました。

 


今まで鼻から上唇周辺に置いていた意識を眉間、頭頂部へスライドさせていきます。

 

 

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私は何かとてもずっしりした圧のようなものが移動するのを感じました。


4日半、約45時間に渡って私はここの感覚を感じる事に全精力を注ぎ、大事に育ててきたので当然といえば当然です。

 

そして頭頂部に溜まった感覚を頭皮全体に広げなさい。という指示に従い、行ってみると

その瞬間、今まで人生で一度も感じたことのないザワザワとした強烈な、それはもう、うっとりするような、気持ちの良い感覚が私の頭皮全体を覆い尽くしました。

 

それから指導者の指示に従い、この感覚を決まった順序で頭の先から足の先までまんべんなく体全体に動かしていきました。

 

顔や、手のひらなど、ものすごく強烈な感覚を感じる部分もあれば、太ももや、お尻などほとんど感覚を感じない部分がありました。

 

これからの修行はこのような感覚をどこでも平等に感じるようにしていくことです。

 

意識を置いた部分に感じる感覚は、なんとも言葉にし難いところがあります。
さっきも言ったプレッシャーのようでもあり、熱のように感じたり、ピリピリとした電気刺激のように感じたり、しかし紛れもなく意識を置いた場所には何かしらの感覚を感じることができました。

 

それを”気”という事ができるのならば、私は小学生の頃かめはめ波や、霊ガン(幽遊白書)が自分にも撃てるんじゃないかと思い、一人練習している時期がありました。

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その時何か、気が溜まっていくような感じを手のひらや、指先に感じ、期待に胸を躍らせて撃ってみましたが、結果は何も起こりませんでした。

 

しかしそのような感覚が無駄では無かったと、20年経った今、瞑想によって知る事ができました。

 

 


聖なる沈黙が解けた後、皆にどんな感覚を感じたか聞いてみた所、皆似て非なるモノを感じていたそうです。


それは個人個人のバックグランドや、経験によるのかもしれません。

ちなみに超伝導を研究する物理学者のピーターは、この感覚をバイブレーションのように感じたそうです。

 

 

  • 感覚の考察

 

私は感覚シナプス(ニューロン)の再結合のように感じました。

 

 

感覚シナプスの再結合というのは、例えばこのようにインド人はしなやかに首を前後、左右、あるいは回すように動かす事が出来ます。

 

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このような動きを可能にしているのは、彼らが何か特別な筋肉を持っているわけではなく、多くの人が筋肉の正しい使い方を知らないだけなのです。
つまり運動ニューロンがうまく筋肉と結合していないということです。

 

感覚についても同じことが言えるのではないかと私は仮定しました。

 

 

  • 感じるとはどういうことなのか?

 

視覚、嗅覚、味覚、知覚と呼ばれる感覚は『脳』が感じている感覚です。

 

例えば知覚で申しますと、私たちが物に触れた時に得られる皮膚感覚の情報は、脊髄や視床を経由し大脳新皮質に到達した後、より高次な脳領域に伝わります。この低次領域から高次領域に向かう入力を『ボトムアップ入力』と呼びます。

一方、高次から低次に向かう入力『トップダウン入力』と呼びます。

この遠心性、求心性、二つの情報が統合され、私たちは感覚を感じることができます。

 

もちろんこの『ボトムアップ入力』無しには私たちは何も感じることが出来ません。

しかしこの外界から与えられる情報は何も『触れられる』や、『何かが皮膚に刺さる』などの強い刺激でなくても、意識を集中させれば感じることができます。

 

皮膚は常に空気と接触していますし、人だって少なからず皮膚呼吸もしています。(余談ですが、ミミズは専用の呼吸器官を持たないので100%皮膚呼吸と言われています。)

 

しかし私たちは皮膚が空気に触れている感覚を、呼吸している感覚を日常生活で味わうことはまずありません。

 

私たちは普段感じている多くの感覚(sensation)を見過ごしている。

 

視覚、聴覚、味覚、知覚、あらゆる感覚器は強い刺激が入り続けると、ついにはそれに順応し、より強い刺激でないと反応しなくなります。

 

味覚で想像すると分かりやすいかもしれません。(塩辛い食事に慣れると薄味では物足りないですよね。)

 

マスコミやテレビも私たちの心により強い刺激を与えるものを考え、制作提供し続けています。(広告界では購買意欲をそそる為に仕方のない事ですが)

 

繰り返しですが私たちの多くは、生まれてこの方、ずっと外の世界に目を向けてきました。

言うならば、外の世界に刺激を求めてきました。

 

そして心が赴くままに、コロコロとTVのチャンネルを変えるかのように、より自分の心を楽しませてくれるものを、私たちは同時並行で常に探し続けています。

 

 

 

瞑想によって内の世界に目を向けるだけでなく、外の世界ばかり見ていると、私たちの感覚はどんどん強い刺激でなければ反応しなくなってきてしまいます。

 

 

 

 

  • 無常という真理

 


感じる感覚は人それぞれ違えば、その日の体調、時間帯によっても微妙に違います。


ただ全ての感覚はただ一つ共通の性質を持っています。


それは前にも言ったよう、生まれては消えていく。無常(Impermanence)だということです。


無常というのはただ全てのものは移り変わっていくという、宇宙の真理です。
昔は良かったとか、あの頃は良かったなどという、センチメンタルな事でも、ネガティブな事でもなく、ただの事実であり、真理です。

 

無常は瞑想を理解する上での大きなテーマです。

 

私たちは無常ということを誰でも知識としては知っています。

無常とは物事は常に変化し続けているということ。

しかし多くの人は無意識に世の中や、物事が変化しないという固定観念に縛られています。

少し前に美魔女という言葉が随分ブームになりましたが、老いていく事にあらがおうとしたり、恋人の気持ちが変化しないと思っていたり、親によっては子供をいつまでも自分の手元に置いておきたかったり、その逆も然りです。

 

そして世の中の真理である無常にこのように逆らう事で、人は苦しみます。


なので私たちには瞑想を通じて、無常を体得する事が必要なのです。

 

体得するのと知識だけというもの間には大きな違いがあります。

 

 

例えば私は豪華客船の仕事に就く前、ホスピスの事務長をしていました。

多い時だと月に何人もの患者さんが息を引き取ります。

多くの家族に惜しまれながら最期を迎える人、誰にも看取られず悲しく最期を迎える人。

多くの人の最期を看取ってきたので、普通の人より私は死というものに対して、経験と知識はあるかもしれません。

そしてそれらの経験は私に生きる意味について考えさせてくれ、私はこの事務長の仕事を辞め、豪華客船の仕事に就くことを決めました。

 

 

 

しかし結局のところ、私は死んでいないのです。

 

 

 

 

例えば成功者の体験談やノウハウ、セミナーや自己啓発本を読んで、やる気になる人がいます。それはある程度彼らを助けるでしょう。

しかしそのモチベーションは長続きしません。


それは映画のようなエンターテイメントと一緒で、ある種の読み手側の心を楽しく、高揚させるよう作られています。

しかし私達は例えば本田宗一郎が、松下幸之助が味わった感覚や、高揚感を味わうことはできません。

所詮誰かの成功談や、ノウハウを学んだところで、人の表在意識しか変化はありません。


人体も絶え間なく変化し続けています。
人の体は約60兆個の細胞から構成され、それは日々生まれ変わっています。

これも多くの人は知識として知ってる事でしょう。
ただ当然のことながら、私達は普段それを感じることはできません。

しかし瞑想、この感覚を通して私達はそれを体得することができます。

それこそが無常を体得するという事です。

 

もちろん2600年前ブッダは細胞のことなどは知らなかったでしょうが、彼は瞑想を通じて、人体も絶え間なく変化していることを体得しました。
そしてついには菩提樹の下で悟りに至りました。

この体得ということが重要です。

体得無くして、潜在意識を変化させることはできないのです。

その結果驚くほど自分のモノ、考えに対する執着から解放されます。

それはある人にとっては新しい考えや、閃きが生まれ人生を照らすでしょう。

 

 

 

  • 欲望と嫌悪のコントロール

 

この瞑想にはもう一つのメリットもあり、それは自分の感覚を通して人を不幸にすると言われている、渇望と嫌悪も排除する事ができるという事です。

瞑想中、ここにもっと感覚が欲しい。や、あのうっとりするような感覚がもう一度欲しい。といった渇望(craving)。
組んでる足が痺れて痛い。昔の嫌な思い出がよみがえってきた。といった嫌悪(abortion)に向き合い、それをただ観察(observe)するのです。

 

繰り返しですが、こういった欲望に対して私たちが取る最善の方法は抑圧ではありません。

”足が痺れて痛いなー。でも動かしてはダメだと言われてるし、こんな雑念がどうにかして抑えなければ!”

こう思ってはいけません。

物質的な欲、性欲、権利欲。あらゆる欲は抑制して凝縮させると、より心に根をはるので、絶対してはいけません。


観察し、そのような感覚に対して私達が無意識にとっていた行動パターンにまず気づくのです。
そうして人間は初めて潜在意識を変化させることができます。

そうして無常を体得し、色々な執着が無くなるのです。

 

 

こんな事を言うのは簡単ですが、やはり実際1日12時間を超える瞑想をしてますので、やる方は大変でした。

いわゆるZONEに入ったと言える、すごく良い瞑想が出来る時もあれば、全然集中できない時もありました。

 

しかしそうした瞑想の後、クリアな心で見る、田舎の空に輝くクリアな星空はそれはもうとても綺麗でした。

 

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↑これはヨセミテ国立公園(カリフォルニア)に行った時の星空です。

 

いよいよ修行は終盤に差し掛かり、最終日の1日前、私たちはいよいよ喋る事を許されます。

一体どんな人がこの修行に参加し、どのように感じていたのでしょうか?

 

次回に続きます。