第12回 あ、瞑想しなきゃって思った理由。
10日間の禁欲生活が終わりました。
千葉の山奥で誰とも喋らず、質素なご飯を食べ、電子機器を一切使わず、読み書きさえ許されず、ただ毎日ひたすらに瞑想を10時間程して過ごす。
そんな暮らしは現代の価値観に照らすと馬鹿らしく、無駄のように聞こえるかもしれません。
しかし私にとっては必要で、こうやって数日経った今思い返してみても、とても神秘的で、不思議な体験でした。
これから瞑想をする事によって、どのように私の体や、意識が変化していったかについて、なるべく詳しく、覚えている範囲で書いていこうと思います。(読み書きが許されていないので)
まず始めはなぜ私が瞑想に興味を持ったかという所からです。
瞑想を知ったきっかけ
私が瞑想について興味を持ったきっかけは患者さんからの話でした。
私は豪華客船の中でも、特に値段の高い、動く五つ星ホテルと言われるディズニークルーズで仕事をさせて頂く機会を得ました。
そこにやってくる患者さんというのは、会社の社長さん、弁護士、医者、少し変わった所だとFBIの捜査官から、アラブの石油王まで、本当に色んな方を治療する機会を得ました。
彼らはわざわざ豪華客船で鍼灸治療を受けるくらいですから、自分の体に対する意識は高いです。
自分のコンディションがどう仕事に影響するかわかっているので、それに対する努力を惜しみません。
そんな方々からよく耳にしたワードがビーガンとメディテーション(瞑想)でした。
ビーガンとはベジタリアンよりもっと厳密な食生活を送る人の事で、肉、魚はもちろん、チーズや玉子等も食べる事が出来ません。
私の患者さんはほとんどがアメリカ人だったのですが、今アメリカでは貧困層程、ジャンクフードばかり食べるせいで太り、富裕層程痩せてるらしいのです。
私は恥ずかしながらメディテーション、瞑想についての知識が無かったので、なんでそんな大昔の仏教の宗教的儀式が流行ってるの?
とその時思いました。
しかし気になったので調べてみると、スティーブジョブズ
や、イチロー
も実践していたり、非常に実践的な集中力を上げる方法だと知りました。
何故忙しい毎日の中で、何もせず座る時間が必要なのか?
私が瞑想によって、今のところ得られたメリットは大きく分けて2つだと思います。
- 欲望と嫌悪のコントロール
瞑想とは一言で言うと自分の内の感覚、内にある世界に目を向ける事です。
私達は産まれてこの方、ずっと外の世界に目を向けてきました。
外の世界に目をやると、うまくいかない事がたくさんあります。
人はうまくいかない事があると苦しみます。
もっとお金があれば、あの人さえ職場にいなければ、等々
確かにお金があれば良い車に乗れて、良い家に住めて、それはきっと気分の良い事でしょう。
しかし外の世界に目をやっている以上、テレビ、広告、インターネット、否が応でも情報はいくらでも入ってきます。
やっとの思いでマンションを買うと、その次は都内のタワーマンションに住みたくなり、六本木ヒルズに住みたくなり、高級住宅街に一戸建てが欲しくなり、次第には王宮のような所に住みたくなるかもしれません。
人間関係も同じです。
人間関係が嫌で辞めた次の職場で、良好な人間関係が待っているという保証はどこにもありません。
私の好きな漫画家に藤子・F・不二雄先生がいます。
彼は国民的代表作ドラエもんを書いた事で有名ですが、実は彼の描く短編集は非常に面白く、現代社会や、欲望を皮肉った作品が多くあります。
その中で私が好きな話が ”福来る” という話なのですが
主人公は中年のサラリーマン。家には嫁と年頃の娘がいます。
ある日仕事帰り酔っ払って、公園で酔い潰れて寝ていると福の神がそこに現れます。
福の神の事を最初彼は最初信じません。罵倒し、最後には喧嘩別れをしてしまいます。
主人公に対して呆れた福の神ですが、福の神もせっかく100年振りに現世に現れたので、どうせなら福をやりたいと主人公の生活を見る事にします。
そこで福の神は驚きます。
100年前に比べると圧倒的に技術が進歩していたのです。
ただ蛇口をひねれば水は出るし、ご飯は捨てて余る程あります。
福の神は主人公に尋ねます。
こんな恵まれた生活をしてるっていうのに、これ以上一体何を望むんだ?
主人公は答えます。
涙が出る程の幸福が欲しい!
そして挙句の果てには宝くじを買ってきて、これに当たりを混ぜろ。と福の神にダダをこね始めます。
それはやり過ぎだと、福の神が要求をはねのけると、またそこでケンカが始まります。
ここでシーンが変わり、ある田舎の農村になります。
そこである農民がクビつり自殺をしようとして失敗しています。
農民は友人にアワで作った粥をご馳走になりながら、諭されています。
自殺なんて馬鹿なマネを2度とするんじゃないぞ。でも何で一体自殺なんて?
農民は答えます。
母は餓死、娘は身売り。もう生きていく希望が無くなった。
そして自殺をしようとした農民はこう続きます。
それにしても今まで極楽にいたような気がするなー。
飯が捨てる程あって、夜もきらびやかで明るく、千里を一瞬で走る乗物。夏涼しく冬暖かいからくり。
そんな中でオラはいたんだ。
友人は答えます。
何馬鹿な事言ってんだ。極楽でも見てたんじゃねえか?
福の神は上空から2人のやりとりを眺めて、こう言います。
しばらく昔の、食うや食わずの生活を送るがよい。
現世に戻った時、涙が出る程の幸福を感じるであろうぞ。と
お分りの通り彼の言う極楽とは現代社会の事なのですが、この漫画が言うように
どれだけテクノロジーが進歩し、昔より生活が便利になっても、もっと、もっとと人間は満足できません。
これは現代の資本主義社会のシステムにも通じる事です。
人の欲とはアトピー性皮膚炎のかゆみのようなものです。
かゆい→かく→気持ち良い→傷が深くなりもっとかきたくなる
欲望→達成→気持ち良い→欲が深くなりもっと欲しくなる
瞑想を毎日の生活に取れ入れる事によって、このような欲望、嫌悪を客観的に観察する事が出来、次第に苦しみからから解放されます。
- 執着しない心
人は普段色んなモノに対して執着を持っています。
自分の思考、自分の所有物、自分の生への執着。
しかしそれらはご存知の通り永遠ではありません。
それを”無常”と呼びます。
私達の夕飯を机に放置し3日もすれば腐ってしまうでしょうし、私達のスマートフォンもいつかは壊れます。
そして一番有名な無常、私達はいつか死にます。
私達は無常を頭では理解しています。しかしこの無常を体得した人とは、世の中にどれくらいいるでしょうか?
人体もまた絶え間なく変化し続けています。
人の体は約60兆個の細胞から構成され、それらは日々生まれ変わっています。
しかし当然のことながら、私達は普段それを感じることはできません。
瞑想中、私達は普段の生活では気づくことがない感覚が現れます。
気持ちの良い感覚、たまには痺れ、痛みのような不快な感覚、暖かいような感覚。
しかしどんな感覚もたった一つ共通の性質を持っています。
それは“生まれては消えていく” “無常”という事です。
私達は瞑想中、無常を自分の感覚を通じて体得します。
そうすると先ほど言った自分の思考、自分の所有物、自分の生への執着が、驚くほど無くなります。
知識はあるに越した事はありませんが、知識だけでは人は変われません。
それは多くの自己啓発セミナーや、ビジネス本が世に蔓延している事が表しています。
それらは人の心を2、3日元気にするでしょうが、多くの人はそのモチベーションが続きません。
瞑想は自分の体を通じた感覚を通して、非常に実践的に人間関係、人が生きるにあたっての真理を説いています。
私は豪華客船の仕事をしているくらいなので、人より何かを知りたいという欲求が強いのかもしれません。
世界の行った事の無い所に行ってみたい。色んな外国の人と自分の言葉でコミュニケーションしみたい。今まで味わった事のない体験をしてみたい。
瞑想をする事で、どういう風に自分は何か変わるだろうか?
そんな気持ちにワクワクしながら、千葉のヴィパッサナー瞑想センターに向かう為、私は東京駅までの新幹線に揺られていました。
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