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カリブ海にて考え中 Thinking something in Caribbean

Carnival cruise Disney Magic, Fantasy 豪華客船で起こる色々な事。

瞑想体験記最終章 潜在意識は変わるか。

 ミャンマーでの瞑想体験記を書く前に日本の瞑想体験記をちゃんと完結させます。

 

 

 

仏教用語、パーリ語で”サンカーラ”というものがあります。

古代インドの仏典に多く記述され、日本の般若心経にも登場する大事な言葉です。

 

サンカーラ:反応(心の条件付け)

 

とありますが

人がストレス等を感じた時にそれに対する反応が生まれ、それが心の奥底に溜まっていきます。

ストレスと違うのは、サンカーラは何か良い記憶に対しても、それに対する渇望という形で溜まっていくという事です。

 

僕が勝手に分かりやすく解釈した感じでは、ピクサー映画“Inside out”のあのボールみたいなものだと思ってください。

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まずこのサンカーラを新しく貯めない事というのが重要になってきます。

このサンカーラは感覚と結びついていますので、その為にわざわざ私たちは人里離れた山奥で、誰とも喋らず粗食を食べる事で視覚、聴覚、味覚などあらゆる感覚器を通して入ってくる刺激を遮断した生活をしているのです。

 

そのようにして刺激という名の心の養分を断つとどうなるか。

 

例えば体の養分を断つ。つまり断食をしても3日、1週間、はたまた1か月は水があれば生きていけます。それは体に溜まった脂肪が燃え始めるからです。

 

心も同じです。会話をしない。携帯をチェックしない。読み書きをしない、テレビやマスメディアに触れない。

つまり心が大好きな刺激(養分)を断つと、体の脂肪が燃え始めるように、過去の溜まり溜まったサンカーラが浮かびあがり燃え始めます。

 

修行が終盤になるに差し掛かり、深い瞑想に入っていく事で、過去に溜まったサンカーラが燃え始めるのです。

 

聖なる沈黙の後、何人かの古い生徒さんと話す機会がありました。

彼ら曰く、何回もこの修行に参加する事によって、今まで忘れていた事すら忘れていたような事を思い出し(それは大体嫌な思い出らしいのですが)、それと向き合う事を求められると言っていました。

 

 

今回3回目の参加女性は

1回目は高校時代、2回目は中学時代、3回目は小学生時代の思い出が掘り起こされ、いじめられてた事など、それと向き合う事を求められた。

と言っていました。

 

しかしなぜこんな辛い事をしてまで、わざわざサンカーラを燃やす必要があるのでしょうか?

 

 

 

 

いきなりですが、真実はいつも一つではありません。

 

こんな事を言うと体は子供、頭脳は大人のメガネをかけた名探偵に怒られそうですが

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大事な事なのでもう一度、真実はいつも一つではありません。

 

”盲人象に触れる”というインドの古い話があります。

ある盲人5人を象のところへ連れて行き触ってもらい、象とはあなたにとってどんなモノだったかを尋ねました。

 

ある人は足に触れ

象とは柱のようだった。と言い。ある人は尻尾に触れ

象とはムチのようだった。

と答えたそうです。

 

これは現代の私たちの世界にも起こりえている事です。

例えばレストランに行った時、色彩に関する勉強をした事がある人ならそのレストランのテーブル、イスの色が気になるかもしれませんし。

またレストランのホールで働いた経験のある人なら、いかにテーブル、イスが綺麗に整えられているか。

またキッチンで働いた事のある人なら、料理の盛り付けが魅力的になされているか。

そのレストランで過去、恋人に壮絶なフラれ方をした人なら、レストランに行く事すら嫌悪感を覚えるかもしれません。

4人とも同じレストランに居るのにも関わらず、見えているもの、感じているモノはそれぞれ微妙に違うのです。

 

その見えているモノは過去の経験、価値観つまり過去に貯めたサンカーラに基づき変わっていきます。

つまりInside outで言うとヨロコビ

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の経験が過去多かった人はヨロコビボール(サンカーラ)が心に溜まっていき、ポジティブで外交的な性格に

カナシミ

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の経験が多かった人はネガティブで内向的になる傾向があります。

 

そんなサンカーラによって見えている世界、そして支配されている感情や、行動を潜在意識という事もできるでしょう。

 

私たちは生まれ持ったポジティブ、ネガティブ、内向的、外交的、怒りっぽいなどの性格は変える事ができないと多くの人が思っています。

 

しかし瞑想によってサンカーラを燃やしていくとどのような事が体に起こってくるのでしょうか?

 

  • ブッダが考えた潜在意識へアクセスするKey

私たちの意識には表面(顕在)意識と潜在意識というものがあります。

顕在意識とは普段表に現れる、いわゆる思考というものです。

しかし行動を決めるのは90パーセントが潜在意識によるものだと言われています。

”話している途中に足を組み換えよう。”

”寝ている時に蚊にさされて、そこを引っ掻く。”

のような些細な事から

こんな事で怒るのはばかばかしいと思っても怒る。

こんなこと考えてもしょうがないと思っても、考えてしまう。

ダイエットしているから食べてはいけないと思っても、食べてしまう。

もっと努力しなきゃと思っているのに、怠けてしまう。

これらの人たちは怒りっぽい人でもなく、考えすぎる人でもなく、怠惰な人でもなく、そうせざるをえない人たちなのです。

つまり潜在意識によってそういうメカニズムになってしまうのです。

体をコントロールする心が未熟だと何をやっても結果的にはうまくいきません。

 

 

 ここからは私の推測ですが

 

きっとお釈迦様はこう考えたと思うんです。表面意識は体を媒介して潜在意識にアクセスできるはずだと。

つまり普段我々が見過ごしている呼吸、感覚、とるにたらないような些細な感情を感じることによって、潜在意識を表面意識化していく。

フロイトも同じような事を言っていますが、潜在意識の表面意識化以外に潜在意識を変える事は出来ないのです。よく我々も気付いていない事は変わりようがないと言いますが、まさにその事です。

この呼吸を代表とする普段意識していない事に”いちいち”気づく事により、表面意識と潜在意識の間にある強固な壁が薄れ、怠ける事なく、感情の渦に支配される事なく、自分の進むべき道に進めるようになると。

 

そうすると少し大げさな言い方ですが、あなたの見えている世界は劇的に変わります。

たくさんのことに気づき、明晰になります。

感覚器を通じて感じている自分と、それに気づいている自分が乖離し、さらに気づいている自分の方が、感じている自分より大きく成長する時、極端な話自分というものは無くなります。

「自分のため 」とか 、「自分がいい思いしたい」とか 、そういったものがほとんどなくなります 。なにしろ観察している自分がメインです。そうなった場合、自分はどういう存在になるかと言えばある意味 もう自分のためには生きられません。他とのつながり、あるいは他の生きとし生けるものとのつながりの中にしか、自分は存在しなくなるわけです 。

そうやって自分の物、欲望、思考への執着が滅していきます。

 

 

 

10日目

午前の瞑想が終わると瞑想センター前に

”聖なる沈黙は解かれました。”

との掲示

 

私たちは一斉に喋り出しました。

男の人は住職、バックパッカー、SE、休職中の人、フリーター色んな人がいて楽しかったです。

私はみんなに外人だと思われていました。(なんか最近シンガポールか香港出身とよく言われます)

 

講話でこのおしゃべりはいわばリハビリ、社会に戻っていくために必要なことと言っていました。

 

 

その日の夕方も、普通に瞑想する時間があったのですが、会話の後だと、明らかに今まで感じてた感覚より弱くなっていること、呼吸への集中が難しくなっている事に気づきました。

 

 

以上で日本の瞑想センターでの体験記、瞑想によって私が感じた事のまとめは終わりです。

 

結論だけ言えば、自分にとっては非常に実りある10日間でした。

 

この後何も刺激のなかった千葉の山奥から、もっとも刺激的な街ハロウィンの東京に戻ってきて、視覚、嗅覚、聴覚あらゆる刺激の圧倒的な量にどっと疲れてしまいました。

 

またミャンマーの瞑想体験記については後日書いてみます。

 

 

 

最後に

 

悟りを得たお釈迦様は人間のタイプを4つに分類しました。

光から闇に向かう者。光から光に向かう者。闇から闇に向かう者。闇から光に向かう者。

最初から解説しますと

裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ったのに欲に溺れたり、劣等感に苛まれ、惨めな感情をいつも抱きながら不幸な人生を選ぶ者。

裕福な家庭に生まれても、欲に溺れず正しい道を選ぶ者。

貧しい環境で生まれ、自らをまた貧しい、苦悩の道に招いていく者。

貧しい環境に生まれても腐ることなく励み、世の真理を理解し、安らかで幸せな人生を歩む者。

 

光に生まれるか闇に生まれるかは選べませんが、向かう道を選ぶことはできます。

 

瞑想の実践によってあなたが気づき、私が気づき、周りの人が気づいていく。

それが私の理想です。

 

長々としたまとめになってしまいましたが、最後までこの瞑想体験記と考察を読んでくださり、ありがとうございました。