カリブ海にて考え中 Thinking something in Caribbean

豪華客船で起こる色々な事。

第14回 1、2、3日目 心が辞めたがっているんだ。

どうもリョウタです。

昨日の続きです。

 

 

翌日

朝4時に起床。

昨夜寝れたとはいえ、まだ辺りも真っ暗の中起きるのは少し辛い。

ちなみにスケジュールは毎日ほぼ下記のように進行していきます。

4;00 起床
4:30-6:30 個人瞑想(瞑想ホール以外、テントや宿舎で瞑想してもよい)
6:30-8:00 朝食、瞑想
8:00-9:00 グループ瞑想(必ず瞑想ホールに集合する)
9:00-11:00 個人瞑想
11:00-13:00 昼食、休憩(もし質問があれば12時に先生へ質問できる)
13:00-14:30 個人瞑想
14:30-15:30 グループ瞑想
15:30-17:00 講義、個人瞑想
17:00-18:00 軽食、休憩
18:00-19:00 グループ瞑想
19:00-21:00 講話(もし質問があれば9時以降に先生へ質問できる)
21:00-21:30 質問 就寝


1日のほとんど、10時間以上が瞑想の時間です。笑

流れとしては1日の最後にある講話の時間に、新たな瞑想法のテクニックを教わり、次の日1日かけて、それを体得していくという流れ。

 

最初の3日は昨夜教わったアナパナ瞑想と呼ばれる瞑想のトレーニングに取り掛かりました。

アナパナ瞑想とはすごくシンプルな瞑想法で、そのシンプルさ故多くの学術的論文も存在します。

あるアメリカのグループの研究では1時間このアナパナ瞑想法を取りいれたグループと、ただのティーブレークを取り入れた群と比較し、アナパナ瞑想を取り入れたグループの方が著明にストレスレベルが減少したとの論文を発表している。

 

その方法とは

あぐらで座り、目を閉じ、ただひたすら自然な呼吸をして、この緑の部分に意識を集中し、そこにある感覚を観察(Observe)し続けるというもの。

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吸気

もし右の鼻孔から空気を感じるのであればそれを、左から、もしくは両方から感じるならそれを観察する。

呼気
上唇の上縁に空気が触れるのを感じるかもしれないし、私のようにヒゲがある場合、それのそよぎを感じるかもしれない。
ただそれをひたすら観察し続ける。

慣れてくるとこの三角形のエリアに空気の通る感じだけでなく、ピリピリとした感覚を感じ始める。



さすがに朝4時に起きているので、これは瞑想始まったら寝るな。

 

私はそんな事を思いながら取り掛かりました。

不思議なことに眠かったのは最初の数分のみで、頭がどんどん冴えていくのを感じました。

 

そしてただただひたすらに呼吸を観察し、感じ続けました。
深くしたり、早くしたりする事もなく、ただ普通の呼吸を。

10分、20分、30分、、、

 

 

 


眠くはないけど、

 

 

 

 

眠くはないけど、、

 

 

 

 

 

 

 


全く集中できません笑

 

 

 

 

とんでもなく退屈です。

 

 

気がつけば心がお出かけしています。
心のお出かけとは、私の場合。

お腹空いたなぁ
足痺れてきたなぁ
アイスランド綺麗だったなぁ、また行きたいなぁ
円高が進んでなければいいなぁ

(´-`).。oO(


等々

 

そしてこのような心ここにあらず状態に気づくと、すぐにまた意識を呼吸に戻す。

どうしても呼吸に意識をするのが難しい場合は、少し呼吸を荒々しくし、強く感じる事により集中を取り戻す。

 

これを皆さんも実際にやってみればわかるのですが、心というものがいかに落ち着きなく、常に何か他の事を考えているかという事に気付きます。

 

いかに日常生活でもThink too muchでFeel出来ていないかという事です。

 

このトレーニングは今を生きるためのトレーニングです。

 

 

人の思考というのは常に過去や、未来の事にとらわれていて、自分の感覚や目の前に起こっている事に集中できていないかという事が、この瞑想を通してまざまざと実感させられます。

 

講話の中で度々出てくるフレーズなのですが、必要なのは心の手術です。

潜在意識という言葉を聞いた事があるでしょうか?

私達は普段、この潜在意識(心)に体をコントロールされているような状態なのです。


例えば私達が寝ている間蚊に刺されたとすると、意識は寝たままですが、かゆみを感じ取り、その部分をかきます。

また起きている時でも、友達と会話中、もし姿勢が辛くなってきたら無意識に足を組み替えたり、姿勢を変えます。

これらは意識をしてやっているわけではありません。私達が無意識にやっている事なのです。
人はこのような潜在意識にとらわれ、肉体をコントロールされています。

そして多くの人はその事実に気づいてすらいません。

様々な欲求にすぐ反応し、行動したり。
大した事のない事に心をいつまでもとらわれていたり。

 

だからあえてここで重要な事は、"今鼻の穴に空気が通っている。"だとか、"吐いた息が上唇をなでている。"と普段見過ごしているような、微細な感覚を感じる事により、心の声を素直に聞かない。という習慣を作る事です。

 

それがFeelに全神経を傾けていて、Thinkしていないという状態です。


いや厳密に言えば

あーまた心が何か言ってるなー。とか、心が動いたな。

と冷静に観察(observe)する事が重要なのです。

 

よく漫画の中で、頭の中に天使と悪魔が戦っている絵がありますが、あれとは違います。

なぜなら欲望に対する正しい反応は、抑圧することではないからです。

年中ダイエットをしている人をたまに見かけますが、その人の場合であれば

”今週はずっと節制してきたから週末くらいパーっと飲んで、食べようよ”

”たくさん運動したから今日はケーキでも買って、自分をお祝いしよう”

など心が語りかけてくるかもしれません。

 

そして大体の結果こうなります。

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ここで大事なのはこれらの欲望を抑えるのではなくて、観察することなのです。

欲望は抑えようとすればするほど心に根をはります。

決して抑えてはいけません。

 

 

その欲望や、その時抱いている感情を観察して、瞑想を通じて体得したあなたの呼吸や感覚を元に、冷静な判断をくれる秘書を心に雇うといったイメージで、欲望、感情と向き合うのです。

 

私の心の中には瞑想を行って以来、秘書の佐々木希さんが常に私を見張ってくれています。(あ、これ煩悩かな)

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例えば夜家に帰って

”小腹が空いたなぁ、ポッキーでも食べよう”

と思ったとします。

そうすると心の中の佐々木希さんが、私の呼吸、感覚を元に私へ語りかけます。

”本当にポッキーが必要なんですか?あなた後は寝るだけですよ。”

とOvserve した結果を僕に伝えてくれ

あ、そういえばいらないかなと思うのです。

 

怒りや、何かストレスを感じる場面でも

”呼吸が早くなっていて、冷静な判断ができない可能性がありますよ。”

などと教えてくれます。

 

心と体動の間に常にワンクッション置くようなイメージです。

 

心は常に荒々しく、汚いもので、心の浄化が必要です(この事にも多くの人は気づいていません)。

 

少し前に競馬でオルフェーブルという馬がいました。

いくつものG1を勝ち、獲得賞金世界一という記録を持つ、近代競馬史に誇る名馬です。

 

この馬はとにかくとんでもなく高いポテンシャルを持っていましたが、気性(性格)が凄く荒い馬でもありました。

 

阪神大賞典というレースで彼はコースを間違えて、10馬身以上外側に爆走してしまいました。(それでいて一流馬が集まるこのレースで、結果2着というのは競馬ファンからすれば考えられませんでした。)

 

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心はこのような暴れ馬のようなものです。

 

もしこの馬に調教がきちんとされなかったら、名馬に大成することは無かったでしょう。

私たちの心も同じです。暴れ馬のような心を瞑想によって調教(整頓)されなければ、多くの人はポテンシャルを持っているのにも関わらず、それを発揮できずに終わってしまいます。

 

 

 

 

 そしてこの瞑想を行うことを大抵の場合、心は嫌がります。

退屈で刺激が無いからです。

 

 

 


突然ですが、アツアツに温めた鉄鍋に水をかけるとどうなるでしょうか?

 

この瞑想をする事はそんな心という名の温めた鉄鍋に、水かけするようなものです。

当たり前のように心とこの瞑想はジューという荒々しい音と湯気を立て、反発し合います。

心は刺激が大好きなので、こんな退屈な事をしていると

”もういい加減やめて、もっと楽しい事しようぜ!”

”意味ないよ。こんな事!”

とか

”こんな退屈な思いしてまで、なんで呼吸を観察してるの?バカなの?”


と囁いてきます。


映画等で2時間座ってて平気なのは心という鉄鍋に油を注ぐようなものなので、心に炎が付くせいで、平気でいられます。ああいうものは心の大好物です。

 

マインドコントロールという言葉が少し昔に流行りましたが、私達多くの人はマインドニコントロールされていると言った方が正しいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

私は心を”今”という時に留めるため、呼吸を感じ続けました。
日が明けても、暮れても続けました。

 

いや正直に言うと退屈で死にそうでした。

 

ただ環境というのは本当に大事だなと思いました。
もし私が瞑想なんてもう嫌だと、テントに帰った所で何もやる事がないのです。
こんな森に囲まれた所では、結局瞑想以外やる事はないのです。

 

そうこうしながら3日目が終わり、4日目の朝、いつまでこの苦行が続くのかと思いつつ、瞑想センターに行くと、ある掲示がされていたのでした。