資本主義ってもうオワコン?
この前フィリピンから帰ってきた世界を飛び回る鍼灸師のミツ君
と色々喋ってて、二人の間にはやりたい事とか、向いている方向とか全然違ってて、お互い哺乳類って事くらいしかもはや共通点が無いんですけど、「資本主義そろそろ限界じゃね?」って所はお互い同じ認識でした。
私の好きな原始仏教の観点から見ると資本主義って欠陥だらけなんです。
ブッダは2500年前、人は生きていく上で、なぜ苦しまなくてはいけないかという事について真剣に考え、108ある煩悩の根本の煩悩として“三毒”を定義しました。それは“むさぼり、怒り、愚かさ”の3つです。
今日は資本主義と結びつきの強いむさぼり(craving)について少し考えようと思います。
食べるという事にも適量があり、食べ過ぎると肥満につながり、それが健康を害するという事はみんな知っています。
しかし現代においてお金や異性関係についてはあまり考えた事がない人が多くいるように感じます。
お金はあればあるだけいい。異性にはモテればモテるだけいい。
と思っている方は少なくないのではないでしょうか。
TVをつけると、またはインスタグラムやFacebookなどのSNSでもてはやされるような人たちはお金をたくさん得て、贅沢な暮らしをしている人や、モデルのような恋人と付き合った、別れた。などという情報が大量に入ってきます。
そして私たちは時にそれを
「ああいう風になりたい。」「お金を気にせず、自由に生きたい。」
だとか
「あんな素敵な人が恋人だったらどれだけ幸せな毎日なんだろうか。」
といった羨望の眼差しで見つめます。
現代に生きる私たちにとって“むさぼり”を辞める事は難しいかもしれません。
私もかつてはワクワクやドキドキが大好きな人間でした。
そこにやりがいや、価値を見出してきました。
何か目標を設定し、それが達成されれば喜び、ダメだと自分の事を惨めに思って、またそれをバネに生きてきました。
幸いだったのは持ち前の物忘れの早さで立ち直り、今日まで色々な人に支えられながら、概ね満足に生きてこれたという事です。
先の記事から述べている瞑想が自分の感覚に目を向ける事、つまり内の世界に目を向ける事と表現するならば、私は外の世界に目を向けてきた人間という表現が正しいかもしれません。
そして今の社会を生きる多くの人がそうであると言えます。
20代の私はまさに感覚器(視覚、味覚、触覚、聴覚、嗅覚)を通して入ってくる刺激に対して幸福を見出し、それによって得られる刺激に一喜一憂をしていたワクワクドキドキ至上主義であったと言えるでしょう。
しかし今は少し変わってきています。
もちろん何かにチャレンジする事は成功しようが失敗しようが、それによって自分が高まり、成長できるという点で素晴らしいです。
その価値観は否定しようがありません。
しかしバランスも重要かな。
と、こういう考えも出てきたのです。
資本主義、ワクワクドキドキ至上主義の問題点
資本主義、そして20代の頃の私のようなワクワクドキドキ至上主義には問題点が二つ存在します。
- 高くなっていく目標
そういうワクワクドキドキ価値観至上主義の一つ目の問題点は、目標がどんどん高くなっていきます。
例えば私は学生時代、自分が社会に適合できるかすごく不安でした。
勉強はできない。そして昔から協調性も無かったので、どのグループに所属しても何か自分が認められていない疎外感のようなものを感じていたからです。
そして学生時代の自分が置かれている状況から、自分が社会に出てまともな仕事に就き、ちゃんとごはんが食べていけるか。
その点で不安だったのです。
好きな事を仕事にしたい。だとか、情熱をもって仕事をしたい。とかそんな夢のある学生ではありませんでした。
しかし社会に出てみると、思っていたよりやりがい、経済的にも満足した生活が送れています。
少なくとも学生時代よりは充実した毎日を過ごせています。
少し話が逸れますが先ほど言った協調性という面では、私は今でも友達を作る事はうまくありません。
しかし“仲間”は割と集まってきてくれる事に気付きました。
仲間と友達には大きな違いがあります。
“仲間”とは何か共通の目的を持って集まる集団の事です。
逆に友達とはそれの逆、何もお互い共通の目的等がなくても、一緒にご飯に行ったりできる関係と言っていいのではないかと思います。
例えばドラゴンボールではほとんどのパートで共通の敵がいます。ベジータ、フリーザ、セル、魔人ブウ。
彼らと戦っている時、悟空を中心としたキャラクターはとても団結します。
しかし敵を倒し、平和が訪れるとどうでしょう。彼らはとても暇そうです。笑
悟空中心に考えるとピッコロ、ベジータ。この二人は絶対に仲間であって、友達ではありません。(休日に彼らが一緒にスタバ行く所とか想像できません。)
話が横道にそれましたが、私達は目標を設定し、それを達成したり、達成しなかったりの繰り返しです。
問題なのは叶えられそうな目標では心は満足しなくなっていきます。 つまり目標は高くなっていきます。
私が学生時代、
「社会に出てご飯が食べていけるか不安だ。」
「どんな形でもいいから、社会に認められ、生きていけるようにならないと。」
という所に目標を置いていたのにも関わらず、今はそれだけでは満足できなくなっているのもこの一例です。
前にも書いたように人の欲にはアトピー性皮膚炎のかゆみに似た要素があると思います。
かゆい→かく→傷が深くなりもっとかきたくなる。
- 欲望のすり替え
もう一つの問題点は欲望のすり替えです。人が何かしたい、こうなりたいと思う時、それは必ずそれが達成されてない状態です。
そして、その欲望に対する刺激が増えます。
その欲望さえ達成すれば、人生の全てが上手くいくと脳が錯覚し、思いこんでいます。
または自分の人生がうまくいっていないのはその欲望が達成されていないからだというすり替えが発生します。
お金が無い人はお金さえあれば、幸福になれると思っています。
恋愛で苦労している人は素敵な人と結ばれさえすれば、全て上手くいくと思っています。
時間が無い人は仕事から解放され、自由な時間さえあれば幸せな人生が送れると思っています。
結論から言うとそれは違います。
そして繰り返しですが私達はそんな事を達成したり、達成しなかったりを人生の中で繰り返します。
私がそういった経験の繰り返しの中で、提案したいと言いますか、違う価値観に気づいたのは、そういう生き方プラス内側に目を向けるという事です。
なので
資本主義が悪い!とか
そんな生き方狂っているから、今すぐ辞めて目を覚ますんだ!
と言ってるわけではありません。
プラクティカルに考えて、そちらに深く足を突っ込まないほうが何か目標が達成されなくても自分の事を惨めに思ったり、それについて落胆したり、悔しい思いが薄れるのです。
外の世界にしか目をやっていないと、一つの物差しでしか自分を計れません。
しかし内に目を向けている人は、違う物差しで自分を計ることができます。
まるで西洋医学と、東洋医学の人体の捉え方のようです。
すごく痛みがあるのにレントゲンMRIで何も異常が見つからない。
西洋医学では臓器、筋肉、それぞれを分けて観察しますが、東洋医学では人体を一つの塊として大きな目で観察します。西洋医学は木を見て、東洋医学は森を見るなどとよく言われます。
このように考え方が違うので、ずっと病院に通って治らなかった人が、嘘のように1回の鍼治療や漢方で治ったりします。
豪華客船で多くのアメリカ人を治療していても思いました。彼らには選択肢が少ない(西洋医学に偏っている)せいで、薬漬けにされ、注射を打たれ、数多くの手術を受けていますが、今だに多くの人が、痛みをはじめとする症状に悩まされています。
つまり体(体に対する西洋医学、東洋医学)にしても、心(心に対する内側、外側の視点)にしても色々な視点を持っているということは、どちらが優れてるという問題では無く、それだけで良いことであると言えるでしょう。
心に対する多くの人が持っていないもう一つの視点というのは、先ほど言ったお金や、恋愛でいうと
“豊かになれば幸福なのでは無く、幸福だから豊か”
“素敵な人と一緒になれれば幸福なのでは無く、幸福だから素敵な人と一緒になれる“
“成功したら自分を好きになるのでは無く、自分を好きになるから成功する。“
という非常にシンプルな内向きの視点の事です。
このような事に気づく事が出来れば、何か人生に閉塞感を感じている人や、漠然な不安を抱えている人の多くは救われる可能性があると思います。
欲望がひたすら高くなっていく事。欲望のすり替えが起こる事。
資本主義が大事にする“むさぼり”にはこのようなデメリットが存在します。
ミツ君はまた私とは違った目線で資本主義を批判していました。
それは大量生産、大量消費による心の問題です。モノに溢れた現代で、モノの価値は急速に下がってきています。
つまり変えが効くのでモノを現代人は大事にしません。そしてそのような傾向はモノだけでなく、人間関係にも伝播するのではないかというのがミツ君の考えでした。
もしこの記事を読んでくださった、かつての私のようなワクワクドキドキ至上主義の方がいらっしゃったらTo wisdom (より賢く生きる)のために是非一度、こういった視点を取り入れてみる事をオススメします。
その結果
「やっぱり自分には資本主義社会の物質的な豊かさで得られる幸福の方が自分に合っているな。」
と思えば、その道を生きれば良いのです。
テレビなどを見ていると誰もが消費によってしか幸せになれないような錯覚を生み出します。
選ぶかどうかは別として、こういう生き方や視点もあるという事だけ頭の片隅に置いていただければ幸いです。
ありがとうございました。